わかりあえないことをわかりあう―1990年におけるコミュニケーションの断念と出立



 フリッパーズ・ギター「全ての言葉はさよなら」



 フリッパーズ・ギター「全ての言葉はさよなら」は、2ndアルバム『カメラ・トーク』(1990)収録。いま振り返ってみれば、この曲の「わかりあえやしないってことだけをわかりあうのさ」というフレーズは、80年代を総括する言葉の一つだったように思う。
 60年代は、学生運動が盛んな理想と革命と政治の時代であり、団結して戦えば、世界を変えられるのではないかという理想が共有されていた時代だったけれど、70年代にはそれらの運動は失効し、80年代には高度資本主義社会が到来して、人々は消費に明け暮れ、他者との繋がりは失われて、個人主義的に生きるようになった。


 村上春樹は、80年代の人々の感性を描いた作家であり、なるべく他人と関わらないように生きている主人公が、やはりそれでは寂しいので恋人を求めて、しかし自分のことだけしか考えていない(考えられない)ので、恋人(=他者)を傷つけてしまう、というデタッチメントの文学を、80年代から90年代前半に書いていた。
 「わかりあえやしないってことだけをわかりあう」の「わかりあえやしない」というのは、個人主義の時代となった80年代において、人々の価値観が多様化し、それぞれ孤立して自分の中に閉じこもっているために、わかりあえなくなったということを総括している。「全ての言葉はさよなら」というタイトルもつまりはそういう意味だ。


 しかし、一方で、「わかりあえやしないってことだけをわかりあう」というフレーズは、たしかに相互理解の可能性、コミュニケーションの断念ではあるのだけど、でも、そこからしかコミュニケーションは始まらないんだよ、という意味での「始まり」の宣言でもあったように思う。
 人は理解し合うことはできないとして、しかし、理解し合うことはできないという前提を共有することによって、初めてコミュニケーションを開始することができる。どう違うのか、なぜ違うのか、どこか共有できるところはないのか、お互いに歩み寄れるところはないのか。自分と他人は全然違う存在なのだということを前提とすることによって、初めて自分とは違う他者と交渉することが可能になるのだし、そのことこそがコミュニケーションの前提なのだ。


 その意味では、むしろ「お互いに理解しあえる」という観念に縛られている状態の方が苦しくもあるし、争いの元にさえなる。「お互いに理解しあえる」という観念に束縛されている状態では、次にはお互いに自分の意見を押しつけあった末に、お互いに「なぜ自分の言うことをわかってもらえないのか?」と感じて衝突し、挙げ句に理解しあえないのは、「苦しい」、「苛立つ」、「自分はこれほど努力しているのに理解しあえないのは相手が悪いからだ」と、コミュニケーションを断絶してしまう。恋人たちは別れ、国家や民族の間では戦争がはじまる。
 コミュニケーションの断絶こそが最悪なのであって、理解しあえないことが最悪なのではない。所詮他人同士は理解しあえない。歴史も違うし、環境も違う。個性も違う。場合によっては、民族も違うし、性別も違うし、世代も違う。これだけ違っているのに、完璧に理解しあえるなんてことがありえるはずがない。


 そのことを前提とすることで、しかし、実はやっと本当にコミュニケーションが始められるのではないか?
 「全ての言葉はさよなら」は、そういうことを歌っていたのだと思うし、コミュニケーションの断念を前提とした上で、新たな他者との出会い、コミュニケーションへの出立を宣言した楽曲だったのではないかと思う。


カメラ・トーク

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