動画で学ぶ映画史(6)―ハリウッド映画とアメリカ



 今回はハリウッド映画について。Wiki講義ノートを参照しつつ記述していきたいと思うが、もともとアメリカにおいて、映画の中心地は東海岸のニューヨークだった。しかし、1908年、発明王エジソンを中心とする大手映画会社は、コダックと組んで、モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー(Motion Picture Patents Company、パテント社、別名エジソン・トラスト)を設立。映画配給を独占し、映画上映の度に金を払うよう求めたので、これに参加しない映画関係者はエジソンの魔の手から逃れるためにニューヨークを離れ、1910年代、東海岸にあるロサンゼルスの町ハリウッドが映画の中心地として形成されていった。ハリウッドが選ばれた理由は、天気がいい、いつでもメキシコに逃げられる、大都市が近いことことなど、いくつかの要因がある。
 また、エジソンに不満を抱いたニッケルオデオン(5セント硬貨一枚の格安の値段で映画が見られる映画常設館)の経営者たちは、カール・レムリを中心にインディペンデント・ムービング・ピクチャー・カンパニー(Independent Moving Picture Company)を設立し、自ら映画を制作・上映。1912年には、レムリは、ユニバーサル社の原型となる映画会社を設立した。ちなみに、ハリウッドが映画の中心地となった。パテント社は、1915年に反トラスト法(独占禁止法)で法律違反とされ、1917年、消滅している。


 D・W・グリフィス東への道』(Way Down East、1920)



 ニッケルオデオンで掛けられていたのはショートフィルムであり、映画産業はまだ小規模なものにすぎなかった。1910年代、ハリウッドで長編作品が作られていくことになるが、そのきっかけとなったのは、D・W・グリフィス『國民の創世』(1915)である。上映時間165分、制作費を含む経費は11万ドル、観客数は2500万人という大ヒット作となり、これをきっかけとして、映画は制作・配給・興業などの点において、資本主義社会を象徴する娯楽としてふさわしい大規模なもの(ブロックバスター=大規模映画)になっていく。エジソンは個人経営のニッケルオデオンを掌握しようとして失敗したのだけど、時代はニッケルオデオン的な小規模産業の時代ではなくなっていったのであった。
 動画は、『國民の創世』はすでに「動画で学ぶ映画史(2)」で紹介したので、ここでは、グリフィスの『東への道』(1920)を紹介したい。リリアン・ギッシュ演じる田舎娘アンナは都会で悪い男に騙されて妊娠・出産・子の死を経験した末に、別の土地で男性と恋に落ちるがそこに悪い男が登場し、過去を暴露。ショックを受けたヒロインは猛吹雪の中さまよい歩き、氷河の上で倒れてしまうが、そこに恋人が救出にかけつける……というシーンなのだけど、いま見ても手に汗を握るし、目が離せなくて引きつけられる映像となっており、これは大衆受けするだろうと思わせられる。やっぱり、映画はこういうのがないと。


 MGM/ロゴ(1929)



 動画は、MGMの有名なロゴ。ずっとライオンのまま。ハリウッドでは、1915年、20世紀フォックス(ウィリアム・フォックス)、1916年、パラマウント(アドルフ・ズーカー)、1919年、RKO1924年メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(略称MGM、サミュエル・ゴールドウィン)、1923年、ワーナー・ブラザーズ(ワーナー4兄弟)といったハリウッドを代表する映画会社が、1910年代から1920年代にかけて、次々と設立されていく。彼らはもとはアメリカに渡ってきたユダヤ人で、裸一貫からニッケルオデオンの経営者となり、さらに映画会社を設立したといった人物が多い(典型はカール・レムリ)。


 ジョン・フォード駅馬車』(Stagecoach、1939)



 ハリウッドでは、多くの観客動員が見込める大衆映画を大量生産していくシステムを作り上げ、史劇、ミュージカル、戦争映画、ヒューマン・ドラマ、西部劇、アクション映画、喜劇、スクリューボール・コメディ(恋愛もの)、ホラー、犯罪映画(フィルム・ノワール)などなど、多様な映画のジャンルが確立されていった。以下、このエントリでは、各ジャンルの代表といえる作品をいくつか紹介しておきたいと思う。
 ジョン・フォード『駅馬車』(Stagecoach、1939) は、西部劇の金字塔といえる作品であり、開拓者という名の侵略する側である白人が善、侵略から身を守るために闘っているネイティブ・アメリカン(インディアン)が悪役として描かれるという時代性を踏まえる必要はあるが、ドラマとアクションの緩急が絶妙で、いま見てもとてもおもしろい。動画では、7分から銃の弾がなくなり、「どうせ助からないなら……」と馬車の男性客が赤ん坊を抱く母親を撃とうとするシーンのサスペンスなど、とてもハラハラさせる。


 フランク・キャプラ素晴らしき哉、人生!』ending(It's A Wonderful Life、1946)



 フランク・キャプラ素晴らしき哉、人生!』ending(It's A Wonderful Life、1946)は、ハリウッド映画における人間讃歌としてよく知られている。詳細は素晴らしき哉、人生!@中川敬のシネマは自由をめざすなどを参照してほしいが、事業の失敗のために「自分など生まれてこなければよかったのだ」と自殺を計った主人公ジョージが天使であるという老人に出会って、「もし自分がいなかったら、この世界はどうなっていたか?」という世界を見せられる。が、自分がいない世界は、さらにみんな不幸になっていた。
 動画は、それで「元の世界に戻してくれ!」と叫んでいるジョージが、警官に名前を呼ばれて、元の世界に戻ってきたことを知り、喜ぶというシーン。なんというか、英語がよく聞き取れなくてもジョージが愛すべきおっちょこちょいであることはわかる。この後クリスマスのパーティーのシーンでハッピーエンドとなるのだけど、まあ、「自分がいない方がうまく回ってる世界」を見せられたら?とは誰しも思うところで、最近、そんなテーマで書かれたとても苦い青春小説が日本で書かれている。(もう一つ、この映画は「汚いじいさんが天使」という映画史の中で繰り返し出てくるネタの元祖なのか?)


 ハワード・ホークス『暗黒街の顔役』(Scarface、1932)



 ハワード・ホークス『暗黒街の顔役』(Scarface、1932)は、1920年代の禁酒法の時代に、実在したギャングアル・カポネを題材にとったギャング映画であり、動画は、1分20秒からシーンで、現代のものを比べても見劣りしない、迫力あるカーチェイス&銃撃戦が撮られている。2分20秒、車が車道から墜落するシーンもすごい。この映画は、ラストシーンが差し替えられたりといったことがあったようなのだけど、ハリウッドの倫理規定であるヘイズ・コード(1930年成立)については、こちら。『暗黒街の顔役』の検閲についての詳細は、Wikiが非常に詳しいので参照してほしい。
 ハワード・ホークス(Howard Hawks、1896-1977)は、西部劇、ギャング映画、スクリューボール・コメディ、SFなど、多彩なジャンルの作品を、しかも必ず一級品の娯楽作品として仕上げた映画監督であるが、『暗黒街の顔役』もまた「戦場のように弾丸が飛び交うギャング戦の場面の撮影では、けが人が出るのを防ぐため、出演者を退避させたセットで弾丸が雨あられの如く壁に蜂の巣のような穴を開け、窓ガラスを打ち砕く光景を撮影し、そのフィルムがバックのスクリーンに映写させるのに合わせて俳優に芝居をさせるスクリーン・プロセス的方法をとり迫力を強めたり」(Wiki)するなど、多くの優れたアイデアを用いたようだ。


 オーソン・ウェルズ市民ケーン』Opening(Citizen Kane、1941)



 さて、戦前の映画史を講義する場合に、一応ゴールを設定するとすれば、オーソン・ウェルズ『市民ケーン』(Citizen Kane、1941)を挙げるのがベストだろう。Wikiを参照すれば、映画のストーリーは、新聞王ケーンが「バラのつぼみ(Rosebud)」という言葉を残して死ぬシーンから始まり、彼のニュース映画を制作するスタッフがケーンについて聞き取り調査を進めていくという枠組みの中で、少年時代、青春時代におけるサクセスストーリー、政治や芸術、結婚生活の挫折など、ケーンの過去が語られていく……という重層的なストーリーの構造(フラッシュバック)をもつ。技術的な面においては、「ディープ・フォーカス(=パンフォーカス、遠近双方に焦点が合っていること)、豊かな質感、奇抜な構図、前景と後景との極端な対比、逆光照明、天井付きの屋内セット、側面からの照明、極端なアングル、極端なクローズアップと並列された叙事的なロングショット、めまいを起こしそうなクレーンショット、その他豊富な特殊効果など」「平凡な映像など何一つとしてない」(Wiki)、当時における映画技術(機械、表現手法の双方において)の集大成といえる作品であった。
 動画は、オープニング。冒頭はディゾルブでいくつもの映像を重ねていくのだけど、2分28秒、雪が降る中での家の映像から急にカメラが引くと同時にディゾルブで別の映像に切り替わり、雪の家は人の手中にある玉の中の風景になってしまう。2分40秒、看護婦が部屋に入ってくるシーンでは魚眼レンズで映像が歪んでいる。


 オーソン・ウェルズ市民ケーン』Window Scene(Citizen Kane、1941)



 26秒、家の中から外で遊んでいる少年を撮っているカメラが、ワンショットワンシーン(長回し)のまま部屋の奥へと引いていくのだけど、窓はばっちり映ったままで、少年の姿も映っている。これは、ありえない映像なのだけど、マッチムーブ(Match Move)と呼ばれる映像を合成する技術で、つまり特殊技術(CG)を使うことで実現した映像のようだ。


 オーソン・ウェルズ市民ケーン』News on the March(Citizen Kane、1941)



 ケーンを題材としたニュース映画で、劇中劇ならぬ映画中映画。ノリがいい。しかし、この映画は完成しないのだった……。


 ハリウッド映画の最大のテーマは、「アメリカとは何なのか?」の探求である。ハリウッド映画は、『國民の創世』(1915)以来、南北戦争を主題とする『國民の創世』や『風と共に去りぬ』、西部開拓を主題とする西部劇(『駅馬車』)、移民たちで形成されたギャングたちを題材とするギャング映画(『暗黒街の顔役』、アル・カポネはイタリア系移民の子であった)、アメリカンドリーム(『市民ケーン』)など、常にアメリカの成り立ちを主題としたストーリーを語ることによって、映画を通じてアメリカ国民としてのアイデンティティーを作り上げ、アメリカの国民国家形成に貢献してきた。
 これらの映画では、たとえば、『國民の創世』や西部劇においては、アイデンティティーが形成されていく過程において、黒人やネイティブ・アメリカンが他者として「我々」の内から排除/隠蔽され、白人(WASP)のみがアメリカ国民として主体化されていったことを明らかにする一方で、ギャング映画は、アメリカがそもそも移民の末裔による国家であったことを語り(もちろん映画産業もまたユダヤ系の移民たちが作り上げた世界である)、さらに『市民ケーン』では、華麗なアメリカンドリームの「影」としての金/権力/スキャンダルが描かれるなど、ハリウッド映画には、良くも悪くもアメリカの光と影がすべて記録されて、現代まで残されているのである。