動画で学ぶ映画史(2)―エドウィン・S・ポーター、D・W・グリフィス



 エドウィン・S・ポーター『あるアメリカ消防夫の生活(Life of an American Fireman)』(1903)



 映画史において重要とされている作品に、1903年エドウィン・S・ポーター大列車強盗(The Great Train Robbery)」がある。「アメリカ人の郷愁〜エドウィン・S・ポーター「大列車強盗」〜」によれば、エドウィン・S・ポーター(Edwin S. Porter1、1870-1941)は、1900年、エジソン社にカメラ技師として入社し、しだいに監督を務めるようになる。ポーターが最初にストーリーらしいストーリーのある映画を作った作品が、上の動画の「あるアメリカ消防夫の生活(Life of an American Fireman)」(1903)であり、この作品をステップに歴史的な作品であり、また最初の西部劇でもある「大列車強盗」を撮りあげた。


 エドウィン・S・ポーター大列車強盗(The Great Train Robbery)』(1903)



 強盗たちが列車で金を強奪し、逃走をはかるが果たせず、森の中で射殺されるというストーリーが、いくつかのシーンを構成することによって語られていく。1.強盗たちが押し入り中にいた係員を縛り上げる、2.列車が停車中に四人の強盗が乗り込む、3.列車内で強盗たちが人を殺し、金庫を爆薬で開け袋に詰め奪う、4.列車の屋根の上で闘争し、人を放り投げる、5.列車を止めて、一車両だけ切り離させる、6.列車から客を出し、逃げようとした客を撃ち殺す、7.切り離した車両に乗り込み逃走する、8.車両を止めて降り山を降りて逃走する、9.山を降りていき、馬に乗り換える、10.子どもが縛られている人物の縄をほどく、11.酒場でダンスに興じる保安官たちの下に係員が現れて事件を報告する、12.馬に乗る保安官たちと強盗たちの銃撃戦、保安官が一人撃たれる、13.金を山分けしている強盗たちの下に保安官たちが到着し、銃撃戦がはじまる。強盗たちは射殺される、14.幕。強盗が観客たちに向けて銃を撃つ。
 映画は、以上13のシーンで構成されている。この作品でもカメラは基本的に固定されていて動くことはなく、ワンシーンワンショットとなっているのだが、いくつかのシーンを組み合わせて構成することでストーリーが語られており、シーンの概念が成立していることがわかる。このことにより、「大列車強盗」は、映画史において重要な作品とみなされている。


 また、上の番号では8と9、分でいえば6分10秒のところ、強盗たちが列車から降りるシーンと馬に乗るシーンで、カメラが強盗たちの動きを追って動いている、すなわち、パン(移動撮影)が行われている点も注目される。さらに、エンディングでは、強盗が観客に向かって銃を撃つという「幕」も用意されている。これはそれまでの映像とはレベルが違う映像であり、観客を意識したものとなっている。


 D・W・グリフィス『國民の創世(The Birth Of A Nation)』1/20(1915)



 D・W・グリフィス(David Wark Griffith、1875-1948)は、「映画の父」と呼ばれている映画監督は、である。Wikiによれば、エジソン社、バイオグラフ社で映画製作のノウハウを学んだ後、形成期のハリウッドに渡り、1915年、上映時間165分の大作「國民の創生(The Birth Of A Nation)」、さらに、翌年には、上映時間197分の大作「イントレランス(Intolerance)」を制作した。
 グリフィスの偉大な点は、映像でストーリーを語るテクニックを確立した点にある。メリエスやポーターのように、一つのシーンを一つのショットで撮るのではなく、一つのシーンをいくつものショットを組み合わせて撮るという、映画のテクニックを確立したのがグリフィスであり、「國民の創生」@Wikiも詳しく書いているように、この作品においてグリフィスは、「ロングショット(遠景)、クローズアップ、パンショット(カメラを左右に動かす)、移動撮影」などを組み合わせてシーンを構成している。


 どのシーンを取り上げてもいいのだけど、3分30秒からのシーンでは、1.兄弟が庭で椅子に腰かけ手紙を読んでいるショット、2.手紙のアップ、3.再び兄弟、4.カーテンと猫、5.4からカメラが寄り、カーテンに隠れた女性(兄弟の妹エレジー)が猫を撫でているショット、6.再び兄弟、7.カーテンに隠れたエレジーの足のアップ、8.再び兄弟、9.カーテンを開いて猫を抱いたエレジーが現れる、9.再び兄弟、妹を呼ぶ、10.猫を抱いたエレジーのバストショット、11.エレジーの全身図、兄弟の方に歩き出す、12.兄弟の下に駆け寄るエレジー、やりとりの後、兄弟は家の中に入っていく、後を追ってエレジーも家の中に入る……という12のショットから一つのシーンが構成されている。こうしたシーンの作り方は、メリエスやポーターの映画にはなく、グリフィスが発明した映画固有の語り方であった。


 D・W・グリフィス『國民の創世(The Birth Of A Nation)』19/20(1915)



 グリフィスは、クローズアップ、アイリス・イン/アウト(絞り)、クロスカッティング(クロスカッティング@Wiki)といった、数多くの映画のテクニックを発明した。クロスカッティングについては、Wikiでは、グリフィスが『國民の創生』の戦闘シーンで効果的に用いたことによって普及したとされており、上の動画はその戦闘シーンなのだけど、このシーンを見るには、少し説明が必要だろう。
 國民の創生 The Birth of a Nation@映画史プロジェクトなどによれば、『國民の創生』は黒人差別思想の顕著な映画であり、南北戦争後、敗北した南部で黒人たちが横暴を振るうようになっていて、黒人たちに囚われたエレジーを、主人公が率いるKKK団が救い出す、という南部の視点から語られたストーリーとなっている。そのために、白い衣装を身にまとったKKK団の騎馬隊が正義の存在として描かれるという、現代の観客からすれば信じがたい映像を見せられる。


 その点を踏まえて見てほしいのだけど、このシーンでは、クロスカッティングの手法が用いられている。クロスカッティング(cross-cutting)とは、Wikiによれば、「異なる場面のシーンを交互に撮影(映写)することにより、臨場感や緊張感などの演出効果を齎す映画の撮影技法」である。動画のシーンでは、エレジー救出に駆けつけるKKK団の様子と、囚われたエレジーの様子が交互に映されることで、たしかに臨場感や緊張感のあるクライマックスのシーンが作られているように思う。
 Wikiでは、「『大列車強盗』で、逃亡する強盗一味と彼らを追いかける保安官の場面などにおいて初めて用いられた」とあるのだけど、これは『大列車強盗』のシーンを分類した番号では、9までが強盗の動きを追っていて、10と11で保安官たちの動きを見せるシーンが挿入されていることを指すのだろう。10と11のシーンは、9より前に起こった出来事であり、その上で強盗と保安官の銃撃戦を描く12を語っていくという流れになっている。カットバック(cutaway / cutback)は、クロスカッティングとほぼ同義ながら、「通常、カットバックは場面Aから場面Bに短時間で戻る一回の動きを指す」(Wiki)とあるので、『大列車強盗』は、カットバックを発明した映画ということになるだろうか。


 ジョージ・アルバート・スミス『メアリ・ジェーンの災難(Mary Jane Mishap)』(英、1899-1903)



 発明といえば、映画のさまざまな手法を発明した映画制作グループとして、ジョージ・アルバート・スミス (George Albert Smith)、ジェームズ・ウィリアムソン(James Williamson)に代表されるブライトン派と呼ばれるグループが、イギリスに存在した(詳しくは、イギリスの輝いてた日々〜ブライトン派の映画〜@映画史探訪などを参照。YOU TUBEには、他に、Cecil M. HepworthHepworth「Alice in Wonderland」(1903)James Williamson「The little Match Seller」(1902)などが上がっているようだ)。彼らは映画の映像的表現の面白さに着目し、SFXの元祖といえるような特殊技術の利用や特殊なシチュエーションを設定することで実験的な手法を試み、結果として、クローズ・アップ、カット・バック、モンタージュといった手法を発明した。
 動画では、一本目は「トンネルの中のキス」(1899)は、汽車から外の風景を撮った映像(トンネル)と、車内の風景を撮った映像(キスする男女)を交互に映すカットバックが用いられている。二本目は、「おばあさんの虫眼鏡」(Grandma's Reading Glass、1900)では、子どもが虫眼鏡をかざすたびに、視線の対象がクローズアップで映される。三本目「望遠鏡でみたもの」(As Seen Through A Telescope、1900)では、望遠鏡の視線の対象がクローズアップで映され、四本目「Sick Kitten」(1903)では、少女が抱いた猫が、これは特に理由なくクローズアップで映されている。実験的な試みの結果、特に理由がなくてもクローズアップを用いることができるようになったということだろう。


 動画の五本目(4分30秒から)「メアリ・ジェーンの災難」(Mary Jane Mishap、1903)は、メイドのヒロインのバストショット→全身図(靴を手に取る)→靴を顔で拭くので顔が真っ黒になっていくヒロインのバストショット→全身図(鏡を取りに行く)→鏡を見るヒロインのバストショット→全身図……と一つのシーンの中で、ヒロインとカメラの距離を自在に距離を伸縮させている(クローズアップ)。さらに6分28秒、暖炉に油を注ぐヒロインをカメラが追っているのはカットバック、そして6分58秒、竈を爆発させたヒロインが煙突から飛び出すシーンでは、室内の映像から室外の映像が繋がれているが、これは撮影現場では別々に撮影された映像が、フィルムを繋ぐことで一連の連続するシーンとして見えるわけだから、編集としてのモンタージュが用いられているということになる。
 こうした技法の発明によって、映画は、メリエスにおける「演劇の記録(=再現)」という段階から飛躍し、映画独自の表現を確立していったのであった。