恋する少女の全力疾走―チャン・イーモウ『初恋の来た道』



初恋のきた道 [DVD]

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 岩井俊二によく似ている映画監督というと、チャン・イーモウの名前が挙がるかなあ、と思う。チャン・イーモウは『紅いコーリャン』(1987)の赤っぽい映像とか『HERO』(2002)のカラフルな色彩がすぐ思い浮かぶけれど、そういう映像美を売りにしているところとか、どこか胡散臭いというか、キッチュな感じがするところがよく似てる気がする。
 胡散臭さについては、チャン・イーモウの場合は「観客を動員するぜ」という計算が透けて見えるあざとさから派生するもので、岩井の場合は『PiCNiC』とか『スワロウテイル』とか明らかに虚構の世界として作られていて、現実の精神病院や日本の社会を再現する気なんて全然なくて、初めから「お話」「寓話」を作る気で作っているところから来ているという違いはあるのだけど、結果として受ける印象は似ている気がする。だからダメだと言ってるわけではなくて、チャン・イーモウも岩井もとても面白いと思うし、ぼくは彼らの映画の胡散臭さがけっこう好きだったりするのだけど。


 で、それだけじゃなくて、岩井俊二チャン・イーモウがよく似ていると思う第三のポイントとして、ストーリーからはある程度独立した形できわめて魅力的で観客の印象に残るシーンがある、ということがあると思う。
 チャン・イーモウ『初恋の来た道』(原題「我的父親母親」、英題「The Road Home」、1999)は、母の思い出話として、母が少女だった頃、わずかな時間触れ合いをもった学校の先生にほのかな憧れを抱いていたというストーリーが語られていく映画で、映画公開当時は、4〜50代の中年男性たちがしきりになつかしいなつかしい、「自分が少年だった頃、たしかにこういう純粋な少女がいた!*1。」などと口走っては女性たちが気持ち悪がっていたものだったけれど*2、そのことはぼくはまあどっちでもよくて、以下に紹介する動画のシーンがめちゃくちゃおもしろくて、この映画はもうこのシーンに尽きるんじゃないかとぼくは考えている。


 シチュエーションを説明しておく。チャン・ツィイー演じるヒロインの少女は、新しく赴任してきた青年の教師に憧れている。先生は髪飾りをプレゼントしてくれた。ほんとうに大好きだ。けれど、先生は突然学校を去ることになってしまう。青年は以前政治的な文章を書いたことがあり、そのことが小さな村で問題になったのだ。少女は悲しみをこらえて先生を見送ることにした。旅の道中はきっとお腹がすくだろう。少女は旅立つ前に先生にお弁当の饅頭を作って渡そうと思った。お饅頭を作る少女。ところが、先生は予定より早く出発してしまう。「お弁当を渡さなきゃ!」。少女は急いで饅頭を包んで、先生を乗せた馬車を追う。


 チャン・イーモウ『初恋の来た道』(1999)6/11



 3分43秒、鏡を見ながら先生からもらった髪飾りを髪に飾ってにっこりしているところに「先生が行っちゃったぞ!」という声がかかり、急いでお饅頭を包んで先生を追って走り出す。で、カメラは走って馬車を追いかけていく少女の姿を映し出していくのだけど、少女は結局馬車に追いつくことができない。で、最後に少女は思いきり転んでしまうのだけど、転ぶ場面を見せられると期待通りのような気がして、いつ見てもぼくは笑ってしまう。「こけた!やっぱりこけた!」っていう。
 それで、少女が転倒したところで音楽が入って観客の感情を一瞬だけ掻き立てるのだけど音楽はすぐになくなり、その後、髪飾りをどこかで落としたことに気づいた少女が、走った道を何度もゆっくり歩きながら丁寧にたどり直して髪飾りを探すのだけど見つからない*3という時間の対比ですよね、このあたりもとてもうまくて、何度見ても感心するのだけど、基本的には少女が走って追いかけて、そして転ぶところまでですね。この一連のシーンがぼくはとても好きで、やっぱり映画の神髄ってこういう「運動」にこそあるんじゃないかという気がする。


 『花とアリス』のバレエのシーンに比べれば、『初恋の来た道』のこのシーンは、ストーリーの流れの中で観客の感情を掻き立てるシーンとして置かれていると思うし、「あるシーンの印象がストーリー全体の印象を凌駕して上回っている映画なんていくらでもあるんじゃないか?」と反論をされるとちょっと困ってしまうのだけど、うん、まあ、ぼくは似てると思うんだけどなあ、という思いつきでした。ではでは。



*1:暗に「いまの若い女どもと来たら!」というニュアンスが含まれているのだけど、まあ当時はコギャル全盛の時代だった(ちょっと下火にはなっていたけれど、厚底ブーツが流行したのはこの年)。

*2:「純粋な少女」をヒロインとする映画を作っている点も、岩井俊二チャン・イーモウの共通点の一つだ。

*3:少女がどんどん不幸になっていくという不幸の畳みかけも「笑い」のポイントの一つだ。1、先生が去ってしまう。2、せめて最後に会ってお弁当を渡したかったけど渡せなかった、3、追いかけてる途中で髪飾りをなくした!。「笑い」のポイントなんて言うとひどい人間みたいだけど、「少女にとってとても大切なことなのはわかるけれど、すでに大人である観客にとっては他愛のない不幸だとわかっている」という落差は、この映画の前提となっている。