動画で学ぶ映画史(3)―エイゼンシュテインのモンタージュ理論



 クレショフ効果(Kuleshov effect、1921)



 今回はモンタージュ理論@社会学しようなどを参照しつつ、モンタージュ理論について。モンタージュというと、犯罪者の顔写真を再現する際、顔のパーツの断片を組み合わせる技術が頭に浮かぶ人も多いと思うが、もともとフランス語のmonterは「組み合わせる」の意であり、映画で言うモンタージュ(Montage)は、一般にショットとショットを繋ぐことを意味している。アメリカではカッティングやエディティング、ヨーロッパではモンタージュと呼ばれており、複数の映像の組み合わせがモンタージュであるとすれば、ワンショットワンシーンの映像以外はすべてモンタージュである。
 モンタージュを映画の文法として理論化したのは、ロシア・フォルマリズムの映画監督たちである。彼らはもともと無関係な映像を接続することで、別のものを表現することができることに気づいた。レフ・クレショフ(Lev Kuleshov、1899-1970)は、上の動画の実験において、無表情な男の顔の映像とスープの映像を繋げて人々に見せたところ、誰もが「これは空腹な男だ」と認めたという。また、女性の死体の映像と繋げてみせると、男の表情は悲しんでいるように見えたと言うのだそうだが、もちろんクレショフは男に空腹の演技も悲しみの演技も要求していない。つまり、「無表情な男の顔+スープ=空腹の男」という形で、無関係な二つの映像から、新たな/第三の意味が生じるわけだ。


 セルゲイ・エイゼンシュテイン戦艦ポチョムキン』1/2(1925)



 セルゲイ・ミハイロヴィチ・エイゼンシュテイン(Sergei Mikhailovich Eisenstein、1898-1948)は、モンタージュ理論を大成した理論家&実践者として知られている。Wikiによればエイゼンシュテインは、1918年、赤軍に入隊してアマチュア演劇に携わり、1920年、モスクワでプロレタリア文化協会の第一労働者劇場に美術担当として参加、ここで演出方法を学び、1924年、映画『ストライキ』を制作、翌年には、映画『戦艦ポチョムキン』を制作し、モンタージュ理論を確立した。『ストライキ』では、ラストシーンで屠殺される牛の映像と兵隊に射殺される労働者の映像を交互に映していくモンタージュがなされているらしいが、残念ながら動画はアップされていない模様。
 『戦艦ポチョムキン』は、1905年に起こった戦艦ポチョムキンの反乱を下に、横暴なロシア軍の軍人に対して水兵たちが反乱を起こす、というストーリーを語っていく、共産主義イデオロギープロパガンダ映画なのだが、動画の6分20秒のシーンでは、ロシア軍人の上官が蛆が湧いている豚肉を「洗えば食える!」などと水兵たちに言っている。


 水兵たちは蛆が沸いた豚肉を食べることを強要されることにキレて反乱を起こすのだけど、8分40秒あたりから、1.船上で仕事をする水兵たち、2.(9分5秒で)シチュー、3.作業台を降ろす水兵たち、4.(9分15秒で)再びシチュー、5.上官が作業台を視察する、6.(9分38秒で)再びシチュー、7.飯を食う兵隊たち、9.上官を恨めしそうな顔で見る兵隊たち……と映像を繋いでいっている。シチューには蛆が沸いた豚肉が煮込まれているわけで、シチューの映像と水兵の映像がモンタージュされることによって、「蛆虫としての水兵」という新たな/第三の意味が表現されているのである。


 セルゲイ・エイゼンシュテイン戦艦ポチョムキン』2/2(1925)



 一部では、ポチョムキン号の水兵たちが反乱に成功するまでが描かれるが、二部では、ポチョムキン号の反乱を支持するために集まった人々がロシア軍の兵士たちに虐殺されるシーンが描かれる。動画では、4分から始まる約6分間のシーンは、「オデッサの階段」と呼ばれ、「映画史上最も有名な6分間」と言われている。このシーンでは、整然と行進し銃を撃つロシア軍の兵士たちと逃げまどう人々の姿が短いショットの積み重ねによって描写されており、迫力のあるシーンが展開されている。
 とりわけ、9分から約30秒続く、撃たれた母親の手から離れた乳母車が階段を落ちていくシーンは有名であり、ブライアン・デ・パルマアンタッチャブル』(1987)などで引用されている。また、10分のシーンでは、ライオンの銅像の映像と水兵たちの映像がモンタージュされており、水兵たちの怒りが表現されている。こうした製作者の強い意図の元に、もともと無関係な二つの映像を繋ぐことによって、新たな/第三の意味を生み出すというテクニックは、グリフィスの時点ではなかったものだ。


 ところで、エイゼンシュテインモンタージュ理論の元になったのは、日本語の学習であったという。日本語の漢字は、例えば、「日」と「月」というそれぞれ別の意味を持つ漢字を二つ組み合わせると「明」という新たな/第三の意味が生まれる。そのために、エイゼンシュテインモンタージュ理論には、言語学的な発想が根底にあり、映像を言語と同様の記号としてとらえ、言語が言語体系と単語からなるように、映像もまたモンタージュという体系とそれを構成する部分/要素としての個々のショットからなり、両者は、同時に成立すると考えた。エイゼンシュテインは、映像を言語と同様の記号として考えたのである。


 フセボロド・プドフキン『母』(1926)



 フセボロド・プドフキン(Vsevolod Illarianovich Pudovkin、1893-1953)の『母』(1926)では、兵士たちに息子と母が殺された後のシーン、3分38秒から氷河が映され、さらに鉄筋が多重露出で次々と映されていく。ストーリーとはまったく無関係な映像であるにもかかわらず、観客は何か強い印象を与えられ、感情を揺さぶられる。


 ジガ・ヴェルトフ『カメラを持った男』8/9(Man With The Movie Camera、1929)



 モンタージュ理論の極北として、この作品を挙げておく。ジガ・ヴェルトフ(Dziga Vertov、1896-1954)は、独自の理論を集大成した作品として『カメラを持った男』を制作し、西側の映画人にも知られるようになった。国内では形式主義者として活動領域を制限されたが、ハリウッドでカメラマンとして活動し、ゴダールに影響を与えるなど、よく知られた存在だった。『カメラを持った男』は、「多重露光ストップモーション、スローモーション、早回し、移動撮影など当時の最先端の撮影技法を多用した先鋭的な作品だった」(Wiki)が、動画をしばらく見てもらえばすごさはすぐわかると思う。変化に富みかつスピード感に溢れており、とてつもなくおもしろい。


 このように、モンタージュは、観客の感情に強く訴えかける映画の技法として、ロシア・フォルマリズム共産主義イデオロギーの蜜月の時代において理論化されていったが、やがて蜜月の時代は終わり、ロシア・フォルマリズムの運動は失速していく。しかし、映像を言語同様の記号の体系とみなすという考え方は、映像文化に理論的な土台を与えることになり、後世に大きな影響を残したのである。


 ブライアン・デ・パルマアンタッチャブル(The Untouchables)』(1987)



 『戦艦ポチョムキン』の「オデッサの階段」を引用したシーンとして有名な映画に『アンタッチャブル』(監督ブライアン・デ・パルマ、1987)がある。乳母車を追って階段を降りていくのがケヴィン・コスナー、おいしいところをさらっていくのがアンディ・ガルシアである。アンディ・ガルシアは、ケヴィン・コスナーの部下で、銃の名手という設定なのだけど、かっこよすぎだろ、これ……。