blogではご無沙汰しております。
 もともとblogは忙しくなるとかなり長い間隔が空くことがあったんですけど、今回の場合はtwitterにネット活動の主戦場が移ってしまっているために、放置状態になってしまってますね。twitterは手軽さともう一つは多くの方とコミュニケーションを取りやすいことが魅力で、ぼくはblogではほとんどコミュニケーションを取ってなかったんですけど、twitterでは「仲良し」ができて、ネットのコミュニケーションを楽しんでいます。blogは発表の場として有効な場だと思うし、時間に余裕があれば、そしてモチベーションが戻ってきたら、blogの活動も再開したいと思ってるんですけどね。今はtwitterが楽しすぎますね……。


 しかしながら、blogの読者の方にもやっぱり今年一年すごいお世話になったと思っています。blog上で弱音や愚痴を吐いたり、ご迷惑やご心配をおかけしました。
 というわけで、ともかく今年お世話になったご挨拶をさせていただきたいと思います。今年はたいへんお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
 では、よいお年を!


 The Joy Formidable「Whirring」(2009)




□□□(クチロロ)6thアルバム『everyday is a symphony』



 「00:00:00」


 12月2日発売の□□□(クチロロ*1の6thアルバム『everyday is a symphony』、購入しました。


 現代を生きる人々の日常の風景を切り取るというテーマと、実際に日常の風景から拾った音素材をサンプリング=再構築する手法がマッチしてて、すごくいい仕上がりになってますね。居酒屋、雑踏、電車、深夜のラジオ……。ヒップホップの方法論を拡張して、日常生活の空間からサンプリングした音で音響空間を構築しつつ、ポップでキャッチーで日々の想いの切なさをかき立てるようなポップでキャッチーなメロディーをも併せ持っている楽曲を揃えている。コンセプトアルバムとしてのテーマの批評性とトータルな構成の完成度もすばらしくて、キャッチーな音楽の合間に、実験的だったりお遊び的だったりする楽曲もあり、正統派のヒップホップやフォークなど多彩な楽曲もあり、かなりすごい。
 生活音のサンプリング&再構築の部分ですよね。購入してから二日間ずっと聴き続けてるんですけど、聴きすぎたせいで、生活空間の音が音楽に感じられる現象が発生しています。町や駅の構内を歩いていたりしても、雑踏の音がむちゃくちゃ「音楽」に感じられるんですよね。まさにeveryday is a symphony。


「Re:Re:Re:」



 □□□には、今年からいとうせいこうが加入している*2らしいんですけど、今回の新譜のコンセプトの部分は彼のアイディアによるものみたいですね。□□□自体、1998年結成以来、多様で実験的な音楽性を持つ魅力的なユニットだったようなんですけど、いとうが加入したことで完全にブレイクしましたね。いとうせいこうは、30代にとっては80年代からずっと文化的なアイドルだった人物の一人で、いつの間にかTVの人になっていたけれど、大復活ですね*3いとうせいこうは48才なんですけど、若い連中の中に入っていって混じってる感じの佇まいのかっこいいこと。


 「ヒップホップの初期衝動」





 『everyday is a symphony』、歴史的な名盤だと思うので、ぜひ購入して聴いてみてください!


everyday is a symphony

everyday is a symphony




*1:□□□の表記は、漢字の「口」(くち)やカタカナの「ロ」(ろ)ではなく、四角を3つ書いて「□□□」とのこと。wikiより。

*2:加入の経緯については、、□□□(クチロロ)インタビュー@OPENERSを参照のこと。

*3:天才てれびくんMAX ビットワールド」(2007年4月〜)、教育テレビの枠でめちゃくちゃおもしろいコトやってますけどね。



 ああもう、暗いっ! 暗すぎるってば、おれっ!
 もっと明るくいきましょ? 暗い顔してる人のところには人集まんないぞ!
 旅行のテーマソングはこれで決まり!
 SEBASTIAN X「ツアー・スターピープル」をどうぞ。




 SEBASTIAN X「ツアー・スターピープル」(2009)





ワンダフル・ワールド

ワンダフル・ワールド




近況報告



 んー、しんどい状況が続いてますね。
 20日・金曜日に風邪とストレスによる体のダメージを押して青色吐息で高校の授業を終えて、午後6時に部屋にたどり着いてから布団に潜り込んでそのまま寝込んでしまって、途中何度か、どうせ外に出られるようになるにはしばらくかかるだろうと買い込んでいた食料で栄養補給するほかはまったく動けず、体の痛みを感じながら寝込みつづけるという状態で、42時間。21日・土曜日は丸一日寝込んでいたし、ふらふらしながらもやっと外に出られるようになったのは、22日・日曜日の午後1時でした。それで、22〜23日も部屋で安静にしつつ、飲み食いしながらDVDを見ながら体力の回復を待つという時間をすごしていたんですけど、やっぱり体力戻ってないですね。そうこうしているうちに、明日はまた戦いです。いったいおれは大丈夫なのか……。


 ぼくの能力不足というのもあるんでしょうけど、普通はここまで教師が追い込まれたりしないと思うので*1……やっぱりたいへんなところなんだと思いますね。一方、6〜7月にもまた別件でめちゃくちゃ追い込まれているので、こんな風に続くと、たいへんというのとはまた別に、ちょっと食傷しているところがあります*2。「おまえの『たいへん』はもういいよ」という感じですね。自分自身ちょっとイラついてるところがあるんです。まったく、おれはなんでこう、いつもいつもうまくいかないのか……。それはやっぱり基本的な部分でしっかりしてないからなのではないのか……。
 その辺りイラついている部分があるんです。なので今回の件はあまり人に頼らないで*3、なんとかかんとか自分ひとりの力で戦い抜いてみたいなと思いますね。ちょっとしんどそうですけどねー。でも、ここを抜けるとけっこういろんなものが身に付きそうな気がしてるんですよね……。認識を変えられる体験をしている感覚はあるので、この機会にまたもう少しいろんなことを考え直してみます。ずっと大きな声を出しているので、他の授業で声が響くようになって、生徒の反応がよくなってきてますしね。悪いことばかりじゃないです。


 近況報告は、twitterで確認してください。もうちょっと具体的なことも、いろいろつぶやいています。
 では。



*1:騒がしいとかは無視してればいいですけど……。

*2:9〜10月はすごく順調で、いろんなことがうまく回り始めた感覚があったんですけどね。だから、blogも充実してたわけですが。そういう時期が長く続かないんですよね。

*3:まあ、すでにけっこう頼ってるんですけどね……。今回はtwitterで多くの方に声をかけてもらって応援してもらっているので、「持ってる」ところがあります

近況報告



 高校で大苦戦中です。ほんとしんどいですね。
 今日は苦戦中の授業があり、夕方は大学で発表でした。長い一日でした。そして明日もまた苦戦中の授業に足を運ばなければなりません。うまく行ってる授業もあるし、楽しいこともあるのですが、高校に行くことがほんとうに気が重いし、正直うんざりです。学期中に途中で辞めると周囲に迷惑をかけるので、今年度はなんとか乗り切りたいと願っていますが、来年は他の学校なり塾なりで仕事をしたいですね。


 こういう状況なので、またしばらくblogの更新は滞りそうです。映画を見たり本を読んだりすることを楽しむ時間もないし、気分にもならないですね。余裕ないです。
 twitterではけっこうつぶやいているので、近況はそちらで確認してください。



ハウスレクチャ:速水健朗「郊外デッドクルージング」



東京デッドクルージング このミス大賞シリーズ (『このミス』大賞シリーズ)

東京デッドクルージング このミス大賞シリーズ (『このミス』大賞シリーズ)



 速水健朗レクチャー「郊外デッドクルージング〜W浅野から遠く離れて〜」、ハウスレクチャ(ゲスト:速水健朗、コーディネーター:五十嵐太郎、日程:11月6日19:00開演、会場:仙台市卸町3-3-16 阿部仁史アトリエ)、参加して来ました。東北大学の建築系の研究室の企画で、会場もイベントの雰囲気もお手伝いの学生さんたちもおしゃれで垢抜けてましたね。会場の周りは配送業者の倉庫ばかりで、駅と会場の間に自衛隊の駐屯地があり、街道添いにファミレスやガソリンスタンドの灯りが点々とともっているという典型的な郊外なんですけど、会場は都会的な雰囲気でした。
 レクチャーのポイントは、90年代以降、物語を生む下部構造が劇的に変化し、物語を生む想像力のあり方が都市的な想像力から郊外型の想像力に変化したこと*1。都市型の想像力として挙げられたのは、ハーレクイン*2、チックリット、トレンディードラマ。郊外型想像力として挙げられたのは、もちろんケータイ小説と、その他にもいろいろなものが挙がっていました。都市型の想像力における「都会・消費・女性の社会進出」といった要素が、郊外型の想像力においては「地方・貧困・ギャル」といった要素のまったく反転した世界になっているという指摘がとても面白くて、「ギャング映画の反転としてのタランティーノ」や「馳星周の反転としての深町秋生」といった例も秀逸でした*3


 「抱きしめたい!」(1988)



 個人的には、トレンディードラマ論を興味深く聞きました。「金曜日の妻たちへ」(1983-85)や「男女七人夏物語」(1986)の脚本家鎌田敏夫地政学に意識的な脚本を書く人で、「金妻」は多摩ニュータウンを舞台とし、学園紛争時代の若者たちの階層上昇という背景を描き込んでいるとか、「男女七人」は東京をニューヨークに/隅田川をブルックリン橋に見立てているとか、W浅野主演の「抱きしめたい!」(1988、ただし鎌田脚本ではない)は、フジテレビの東京テレポート計画と連動しているとか、ぼくも団塊ジュニア世代なので、興味深かったですね。
 地方育ちの団塊ジュニア世代にとっては、トレンディードラマって「オシャレな人たちが住む憧れの場所」という東京のイメージを植え付けたもので、おそらく下の世代にとっては東京ってもっと違うものになってるんじゃないかと思いますね。団塊ジュニア世代が未だにいちばん「東京幻想」に幻惑されている気がします。西武の話も少し出ていたんですけど、秋田市で駅前の真ん中にほんきん西武が開業したのは1984年で、西武は他のデパートやスーパーとは異なるステータスを持っていたことを記憶しています。秋田フォーラスの開店が1987年。フォーラスには、タワーレコードが入っていて、高校時代よく輸入盤CDを買いに行きました。「オシャレな若者が行く店」という位置づけで、ぼくみたいなオタクには入りづらい雰囲気でしたけどね。ぼくが住んでいた町の記憶を辿ってみても、80年代から90年代前半あたりまで、流行や情報の発信地は東京という感覚はたしかにありました*4


ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち



 現代では流行はほとんど地方の郊外発の逆ルートになっていて、ケータイ小説も地方を舞台として地方で売れたものが、やがて東京でも流行するという順番になってるんですよね*5。内容も郊外型の想像力によるものとなっていて、舞台はファミレス、ショッピングモール、物語は知的で複雑なものではなくシンプルな物語となっている*6、と。今後については、現在は地方の崩壊が進んでおり、みんな東京に行くしかなくなっている/都市一極集中型になりつつあるから、再び都市型の想像力の時代が来るかもしれないが、先のことはわからないということでした。


ヤンキー文化論序説

ヤンキー文化論序説



 ところで、今のぼくにとってヤンキー文化とどう付き合うか? というのはけっこう大きなテーマだったりします。高校で不良やヤンキーと付き合ってますからね。で、レクチャー終了後、速水氏にサインを求めつつ、「今学校で不良に悩まされているのだ」と話したところ、以下のような言葉を書いてくださいました。





 ZEEBRAの引用なのですが、なんかすごい力づけられますね。さすがです。




 Dragon Ash「Grateful Days」(1999)




*1:前提は「経済的用件が変わるとコンテンツも変わる」という認識。マルクスの下部構造論を踏まえているとのこと。

*2:ハーレクインについては、郊外デッドクルージング@男の魂に火をつけろ!のレポートを参照のこと。

*3:会場には深町氏も来ていました。

*4:ちなみに、現在の秋田市は駅前は休日でも閑散としており、休日は郊外型の大型店舗イオンに車で行く感じになっています。駅前は駐車場がないから行かないわけです。モータリゼーション社会なんですよね。

*5:東京でも郊外化が進んでいるので、東京と地方/郊外の関係において郊外が優位となる。

*6:宮部みゆきは東京では売れてるけれど、地方ではまったく売れてないのがはっきりデータで出ているそうです。逆にケータイ小説は東京では売れなくて、地方で売れていたと。