『千と千尋の神隠し』関連の文献および資料



 『千と千尋の神隠し』関連の文献および資料を調査・収集中。


●雑誌媒体における『千と千尋の神隠し』特集


 入手


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 ほかに、「別冊COMIC BOX vol.6 「千と千尋の神隠し」千尋の大冒険」など。
 湯屋「油屋」の室内のモデルになった目黒雅叙園旧館の漁樵の間(ざしょうのま)が紹介されているのですが、目黒雅叙園については、目黒雅叙園@wayomix過剰の美――目黒雅叙園の百段階段@Y'not Report Revivalなどで予備知識を得つつ、目黒雅叙園のサイトで、「ご紹介」から「目黒雅叙園を知る」に飛びましょう。
 油屋については、千と千尋の神隠し@Wikidediaによれば、特定のモデルはないとされているけれど、道後温泉本館渋温泉金具屋、湯原温泉油屋、江戸東京たてもの園、銭湯梅ヶ枝湯などが参考にされているそう。油屋という名称については、全国に存在する屋号ながら、とりわけ出雲国安来湊にあった油屋宗右衛門の屋敷が意識されているのではないか、とのこと。
 松山市道後温泉本館は、道後温泉本館@Wikipediaによれば、日本書紀にも登場する日本最古の温泉で、本館は明治27年、道後町長伊佐庭如矢の尽力で建築され、1994年には国の重要文化財文化施設)に指定されているそう。道後温泉本館探検帳@松山市観光ガイドは、こちら。Web上の旅行記では、「千と千尋」の世界みたい@ダートジョイ凸凹人生の画像がきれいですが、夜中に歩いていたら、客引きに「いい娘がいますよ」と声をかけられたという記事がまたいかがわしくて、宮崎っぽい。(道後温泉は、夏目漱石の小説「坊っちゃん」に、「住田温泉」という名前で出てきます。で、坊っちゃんはよく温泉に浸かってます。漱石は松山で先生をしてましたからね。漱石は温泉好きで、よく浸かっていたはずです)
 町並みは台湾の九份がモデルらしいのだけど、宮崎アニメ“千と千尋と神隠し”の題材となった九份に行ってきたよ(^0^)/ @超おすすめ情報大特集!! は猥雑な感じが、台湾にて―九份@Sugaree Sweeは「無人の廃墟と化した町」的な感じがよく出ています。この町は、侯孝賢監督の映画『悲情城市』(1989年)の舞台となったことで有名になり観光地となった町なのですが、さらに、林雅行監督の映画『風を聴く〜台湾・九份物語〜』(『風を聴く』公式HP)という日本人監督によるドキュメンタリー映画も作られているようです。『千尋』も含めて、日本人にとっては映画で馴染み深い町になっている気がします。いつか一度行ってみたいですね。




ジブリ側から書籍化された資料




The art of spirited away―千と千尋の神隠し (Ghibli the art series)

The art of spirited away―千と千尋の神隠し (Ghibli the art series)





●ガイド&ムック本

千と千尋の神隠し―Spirited away (ロマンアルバム)

千と千尋の神隠し―Spirited away (ロマンアルバム)





宮崎駿についての評論および研究


ジブリの森へ―高畑勲・宮崎駿を読む (叢書・“知”の森)

ジブリの森へ―高畑勲・宮崎駿を読む (叢書・“知”の森)

 編著の宮沢賢治研究者・米村みゆきは、アニメーション・リテラシーで大学での講義の様子を公開しているよう。『ジブリの森へ』の情報はこちら。所収論文・金栄心「韓国から見る『千と千尋の神隠し』「日本的な想像力」と「第二のジャポニズム」」は、温泉、名を奪われること、無国籍性などに言及。


宮崎駿全書

宮崎駿全書

 著者叶精二は、高畑勲・宮崎駿作品研究所の管理人で、Web上に既発表の宮崎駿論をアップしている。


宮崎駿の仕事 1979‐2004

宮崎駿の仕事 1979‐2004

 宮崎駿に批判的な視点をもつ宮崎駿論、という点で貴重な本。『千と千尋』の赤色DVD騒動のあいまいな決着に見られるように、日本人は「宮崎さん」の人間臭さに惹かれているので、何があろうと許してしまう傾向がある。そのことが作品に対する読みをも無批判なものにしてしまっていないか、という問題提起は貴重なものだと思う。
 一方で、ぼくもまた「宮崎さん」に甘いのかもしれないけれど、この本の中で、この作品では観客がストーリーを理解するのにこうした説明が足りないとか、こうした方がストーリーとして辻褄が合うのでこういう風にするべきだったとかいった議論がなされていると、そんな何から何まで言葉で説明するような映画がおもしろいのか?、とか、破綻しているところにおもしろさがあるのであって、宮崎アニメの題材で何から何まで明快で辻褄が合うような作品を作ると、それはなにか教育映画的なものになってしまって、これっぽっちもおもしろくなくなってしまうのではないか?、とかいった疑問を感じる。したがって、この本には「映画知らずの映画評論」的なところがあるように思う(宮崎アニメに言及する人には、こういうタイプの論者は多い。とりわけ『千と千尋』で千尋が成長していないとか、『ハウル』で戦争が安易に取り上げられているのは許せないとかいった議論をしている人を見るとそう思う)。
 『魔女宅』を「魔女っ娘アニメ」の系譜の中でみたり、『ラピュタ』を『ああっ女神さま』など「自分に都合のいい少女」を描く「男性向け願望充足系美少女もの」の系譜の中でみる論考は論じられるべき視点だと思う。しかし、「『天空の城ラピュタ』とアニメ・ポルノグラフィー」という章タイトルは刺激的にすぎ、あとがきの中で「貴様の宮崎論は嫌いだと最大限の賛辞とともに出版企画に難色を示してくれた某アニメ誌の元編集長氏」(ジブリプロデューサー・鈴木敏夫以外の誰だと……)と言われたりするのは、そりゃ当然だと思う。内容にはいろいろ疑問もあるのだけど、出版意義は確実にある本だと思う。


フェミニズム・サブカルチャー批評宣言

フェミニズム・サブカルチャー批評宣言

 村瀬ひろみ「曇りなき澄んだ眼で見つめる『性の闇』 宮崎アニメの女性像」(初出:沢野雅樹ほか『ポップ・カルチャー・クリティーク1 宮崎駿の着地点をさぐる』(青弓社、1997)収録。少女時代、宮崎作品に出てくる少女キャラに対して、「自分はこんな風じゃないっ!」と違和感を抱いたことを起点として、宮崎作品をフェミニズム的な視点から批判する。


宮崎駿の“世界” (ちくま新書)

宮崎駿の“世界” (ちくま新書)



宮崎駿を読む―母性とカオスのファンタジー

宮崎駿を読む―母性とカオスのファンタジー

 『千と千尋』『ラピュタ』『ナウシカ』『トトロ』論を収録。あらすじの紹介が大部分を占めており、内容の確認も大事なことだとは思うけれど、論考としての内容は薄いし、折角宮崎論を世に問う機会なのにもったいないな、と思う。
 宮沢賢治を参照しつつ、『トトロ』でサツキやめいの母親は死んでいるのだ、という解釈を、「宮崎は過酷な現実を書き込む監督なのだ」からと、読み込まなければならないポイントとし、学生たちにその読みを提示するとみな拒否感を示すのは、甘いファンタジーに浸る態度と批判しているのだけど、「母親が死んでいる」というのはあくまで一解釈にすぎないし、サツキたちが過酷な状況にあることは母親が入院していることからだけでも読みとれる。
 「母親が死んでいる」ことを読みとってしまうのは、むしろ従来の文学研究&文学評論の中であまりにも安易に反復されてきた文学論のドグマでもあるわけで、本書の論考はそうした文学論のドグマに無批判に寄りかかったものが多すぎる。こういう先生に抑圧される学生たちはかわいそうだな、と思う。


宮崎駿、異界への好奇心 (seishido brochure)

宮崎駿、異界への好奇心 (seishido brochure)



宮崎駿の「深み」へ (平凡社新書)

宮崎駿の「深み」へ (平凡社新書)



宮崎アニメの暗号 (新潮新書)

宮崎アニメの暗号 (新潮新書)



宮崎駿 「紅の豚」論

宮崎駿 「紅の豚」論



現代日本のアニメ―『AKIRA』から『千と千尋の神隠し』まで (中公叢書)

現代日本のアニメ―『AKIRA』から『千と千尋の神隠し』まで (中公叢書)



ユリイカ1997年8月臨時増刊号 総特集=宮崎駿の世界

ユリイカ1997年8月臨時増刊号 総特集=宮崎駿の世界



ユリイカ2004年12月号 特集=宮崎駿とスタジオジブリ

ユリイカ2004年12月号 特集=宮崎駿とスタジオジブリ


 『千尋』関連論文に、栗原裕一郎「〈宮崎駿論〉解析攻略必勝ガイド」。


宮崎駿の世界―クリエイターズファイル (バンブームック)

宮崎駿の世界―クリエイターズファイル (バンブームック)





宮崎駿の著作
宮崎駿の雑想ノート

宮崎駿の雑想ノート



泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート

泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート



風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡

風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡

 ロック評論の第一人者渋谷陽一をインタビュアーとして、1990年から2001年まで足かけ11にわたって行われた、宮崎駿へのインタビューをまとめた本。宮崎の表現者としての核心に迫るインタビュー集となっている。


出発点―1979~1996

出発点―1979~1996





謎本


「千と千尋」の謎―『ハイジ』『ルパン』から『千と千尋の神隠し』まで

「千と千尋」の謎―『ハイジ』『ルパン』から『千と千尋の神隠し』まで



「千と千尋の神隠し」のことばと謎

「千と千尋の神隠し」のことばと謎



「千と千尋の神隠し」の謎 (王様文庫)

「千と千尋の神隠し」の謎 (王様文庫)





●論文
 NDL-OPAC国立国会図書館蔵書検索・申込システムの「雑誌/記事索引の検索/申込み」から「宮崎駿」で検索した中からピックアップ。


 猿渡学・片山文雄・丹治道彦「宮崎駿千と千尋の神隠し』を読む」、「東北工業大学紀要 2 人文社会科学編」27、2007.3
 日置俊次「宮崎駿論――終わらない物語」、「青山スタンダード論集」2、2007.1
 藤田秀樹「飛翔する少女メシアと「火」を偏愛する皇女――宮崎駿風の谷のナウシカ』論」、「富山大学人文学部紀要」46、2007
 高橋透「ホモ・テクニクス,ホモ・ナトゥーラ(5)宮崎駿,押井守,庵野秀明のサイボーグ形姿たち」、「水声通信」8、2006.6
 日置俊次「宮崎駿論――創造への軌跡」、「青山学院大学文学部紀要」48、2006
西川正也「物語作家としての宮崎駿論(2) 失われた起承転結:『ハウルの動く城』」、「共愛学園前橋国際大学論集」6、2006
 藤本憲太郎「宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」における建築のファサードの果たす役割について」、「関東学院大学人間環境学会紀要」4、2005.7
 伊藤賀永「宮崎駿作品『千と千尋の神隠し』に関する一考察――子供の危機と"居場所探し"の物語として読み解く」、「関東学院大学人間環境研究所所報」4、2005
 杉田正樹「現代欲望論――宮崎駿作品『千と千尋の神隠し』をめぐって」、「関東学院大学人間環境研究所所報」3、2004
 早矢仕智子「韓国の若者における宮崎駿アニメーションの受容――『千と千尋の神隠し』をめぐって〈大眞大学国際学部日本学専攻学生アンケート調査報告〉」、「宮城学院女子大学大学院人文学会誌」4、2003.3
 赤坂憲雄宮崎駿ナウシカ的世界へ」1〜13、「本の窓」222〜234、2003.1
 木村功「小さき神々の声――宮崎駿千と千尋の神隠し」から夢野久作「犬神博士」へ」、「敍説」3、2002.1



●片山文雄「親に食い殺されないための知恵」
 上記論文の中でも、とりわけここで紹介したいのは、三つの小論が収録された、猿渡学・片山文雄・丹治道彦「宮崎駿千と千尋の神隠し』を読む」(「東北工業大学紀要 2 人文社会科学編」27、2007.3)の一編、片山文雄「親に食い殺されないための知恵」です。
 「『千尋』において千尋は成長できたのか?」について論じた論文で、まず、千尋の特徴を受動性と「スルー」する態度であるとし、それは、千尋に対してまともに取り合わない態度でいる両親との関係の中で身に付けたものであるとする。しかし、湯屋の世界での経験の中で、千尋は「自分で決める」体験をし、そのことによって両親から距離をとることを学んだのだという。そして、千尋の成長はほんのわずかなものにすぎないのだが、成長の跡は、映画の冒頭と結末に、しっかり差異として描き込まれているという。



 豚から人間に戻った両親と一緒に、千尋は初めに通った門を再び通る。そのとき母が、来たときと同じ台詞を千尋に向けて言い(「そんなにくっつかないでよ、歩きにくいわ」)、千尋も同じように対応する(少しだけ離れる)。これは反復といっていい同型性である。
 千尋の「成長」はここでは目に見えるものとしては描かれていない。それは千尋の表情――行きの門では親への依存と不安が見られ、帰りの門では落ち着きが見られる――に辛うじて示される程度の、ごく小さな、「成長」と呼べるかどうかも分からないほどの変化なのだ。しかしこの変化、親から少しだけ距離をとることは、千尋にとって必要なものだ。


 猿渡学・片山文雄・丹治道彦「宮崎駿千と千尋の神隠し』を読む」(「東北工業大学紀要 2 人文社会科学編」27、2007.3、46頁)



 「映画の冒頭と結末で、千尋が両親に依存している様子が繰り返し描写されているので、千尋は成長していない。宮崎は千尋の成長を描かなかった」というかなり多く見られる読みに対して、きちんと作品を読む中で、そうではない、ということを示している優れた論文だと思うので、「千尋と成長」というテーマに関心がある方は、ぜひご一読ください。




●『千と千尋の神隠し』と「鉢かづき
 叶精二「日本の民話・伝承と宮崎駿監督作品」、「観光」468、2005.10
 「御伽草子」の一編「鉢かづき」と『千と千尋の神隠し』の共通点を指摘。「鉢かづき」は、



 室町時代に編まれた「御伽草子」の一編としてよく知られる「鉢かづき」の物語には、『千と千尋の神隠し』と様々な共通項がある。母に先立たれた少女が、母の教えで鉢を被らされ、奇妙な容姿故に実父と後妻に忌み嫌われる。少女は入水自殺を図るが、鉢の浮力で川に押し戻されて叶わず、ある名家に身を寄せて風呂焚きとして働く。その家の四男の湯女を務めて恋に落ちるが、周囲は猛反対。二人は駆け落ちをしようと決めるが、鉢が割れ中から財宝と絶世の美少女が現れ、無事家督を継ぎ、流浪の父とも再会してめでたしといった話である。



 という話なのだそうだけど(詳しくは、鉢かづき姫の物語@寝屋川市教育委員会文化振興課HP)、川に流されるとか湯女として働くとか恋の物語であるとか家族と再会するとかいった点が『千と千尋』と共通していてどうこう以前に、「母の教えで鉢を被らされ、奇妙な容姿故に実父と後妻に忌み嫌われる」ってなんですか? 萌えですか?
 と思ってGoogle画像検索してみると、こんな感じ寝屋川市のマスコットキャラ・はちかづきちゃんが一番萌えキャラなんだけど、うーん、微妙。
 びんちょうタントップページCG集@アルケミスト)が頭の上に備長炭を乗せてるみたいなのをイメージしてたんですけどね。
 というか、「鉢かづき姫=千尋」なら、千尋カオナシになっちゃいますね。