春休みと幽霊トンネル



 大学の春休み期間だというのに、ここ数日なぜかやたらと忙しく過ごしています。


千と千尋の神隠し (通常版) [DVD]

千と千尋の神隠し (通常版) [DVD]



 最大の理由は、日本文化共同研究発表会で発表した『千と千尋の神隠し』論を論文化する仕事があって、ついに最終的な締め切りの告知があったので、2〜3日泊まりがけで、論文化の作業をしていたことが大きいです。これは自業自得で、最初の締め切りはもうとっくの昔に過ぎてたんですけど、発表内容に不備が多く、このままの形で紙媒体に残るのは嫌だなというコトで、いつ締め切りの宣告が来るのかとびくびくしつつ、全面的な改稿を試みて(そしてうまくいかず挫折して)いたんです。
 けれど、ついにもう製本作業をはじめるというコトで、結局、発表段階のものを論文化することに。この仕事がなかなか進まないから他の準備もまったく進まなくて、そして逃避のためにやるblog活動がやたらと充実していたんですけどねw とにかくこの仕事は終わったので、明日から他の準備をはじめますw


川端康成集 片腕―文豪怪談傑作選 (ちくま文庫)

川端康成集 片腕―文豪怪談傑作選 (ちくま文庫)



 そして、24日と26日は、文芸談話会のシンポジウム形式の研究発表会を聴講してきたんですけど、まあ学内の小さな研究発表会で、発表者は学期が始まれば毎週会ってる方たちなので、blogでは詳細は書きづらいですよね。このblogを見ている方もいますしね。mixiなら書けるんでしょうけどw
 一日目のテーマが「虚構」、二日目のテーマが「歴史」で、それぞれ三人ずつ。合計六人。中世文学&近代文学専攻の院生が混交で発表と討議があったわけですけど、研究者はどういう立ち位置で研究に臨むのか、が一貫して問題になっていましたね。構造主義は科学的な中立性、テクスト論は読者の読みの中性性を標榜していたけれど、それ自体がイデオロギー的であるということになり、90年代以降、研究者自身の政治性を明らかにしながら対象にコミットしていく流れが主流になってきているわけだけど、そのとき表現自体の分析が見失われていくケースも多い。ゆえに、もう一度表現そのものに向き合うことに立ち返らなければならないのだけど、では、そのときどういう立場を取りうるのか。科学的中性性や中立性を標榜する構造主義&テクスト論には戻れない。で、ここのところでどの方も試行錯誤しているという、おおよそそんな印象でした。単純化しすぎですか? しかしながら、やはりいま文学研究に携わってる研究者はこういうコトを考えているんだな、というコトで、このblogでも書き残しておきます。


 櫨ヶ峠隧道



 戸谷隧道



 これは何かというと、研究発表会で得た情報なんですけど、川端康成の短編小説「無言」に名越隧道という幽霊トンネルが出てくるらしく、名越隧道の動画はなかったんですけど、隧道の動画があったので紹介しておきます。一つ目は心霊スポットという噂もあるようです。なんか怖いですよねw YOU TUBEで「幽霊 トンネル」で検索するともっと怖い動画が出てくるんですけど、これは自己責任でw
 名越隧道については、名越隧道@Wikipedia名越隧道@ORRの道路調査報告書を参照してください。レジメに引用されていたのは、ここですね(タクシー怪談と優霊物語と@東雅夫の幻妖ブックブログ)。


 さらに、なにやらいろいろ仕事が入ってきているんですけど、とりあえずこの辺で。一回、ゆっくりしたいんですけどねw どうにもw
 では。