第138回芥川賞・直木賞候補作



 16日、第138回芥川賞直木賞の選考会が行われます。
 候補作を確認しておきましょう。


芥川賞
 川上未映子「乳と卵」(「文学界」12月号)
 田中慎弥「切れた鎖」(「新潮」12月号)
 津村記久子「カソウスキの行方」(「群像」9月号)
 中山智幸「空で歌う」(「群像」8月号)
 西村賢太「小銭をかぞえる」(「文学界」11月号)
 山崎ナオコーラ「カツラ美容室別室」(「文芸」秋号)
 楊逸「ワンちゃん」(「文学界」12月号)


直木賞
 井上荒野「ベーコン」(集英社
 黒川博行「悪果」(角川書店
 古処誠二「敵影」(新潮社)
 桜庭一樹「私の男」(文芸春秋
 佐々木譲「警官の血」(新潮社)
 馳星周「約束の地で」(集英社


 芥川賞川上未映子直木賞桜庭一樹が受賞すれば、読書界はものすごく盛り上がるでしょうね。ちょっとうんざりしてくるくらいに、あちこちで特集が組まれたりであるとか、お祭り騒ぎが続くでしょう。ともに、三十代で比較的若く(川上31才、桜庭36才)、かつ美人であり、しかも読者や批評家に実力を認められている、という人気と実力を兼ね備えた女性作家たちなわけですから。ジャーナリスティックな意味で、ふたりを同時に受賞させることはありえるし、どのみちいずれは受賞する作家たちなのだから、それでまったくかまわないと思うんですよ。
 ただし、選考委員があくまで作品本位で選考するとしたら、どうなるかはわかりません。僕は川上と桜庭の作品しか読んでいないので判断できるはずもないのですが、川上の作品についていえば、内容的には、豊胸手術を受けようとする三十代後半の女性とその娘の葛藤を、母親の友人の視点から語っていくというストーリーで、「自意識過剰な女」の姿を俯瞰的に捉えているので、自意識や言葉の暴走は抑制されている。作風は、「大阪弁による自虐を含んだ自意識語り」のせいで、「女町田康」みたいなところもある、という感じ(「女町田康」は川上を紹介するのによく使われるフレーズのよう)。自意識や言葉の過剰さが抑制されており、端整な作品になっている分だけ、やや退屈で平板な印象を受けたのですが、逆に芥川賞の賞レース的には受賞しやすい作品という気もする。三島賞なら完全に減点なんですけどね。他に突出した作品があれば、あるいは負けるかもしれません。


 当blogでは、以下のエントリで、川上未映子に少し触れています。


 絶望せよ、文化系女子――『ダ・ヴィンチ』2006年4月号/特集「文化系女子としたい」