絶望せよ、文化系女子―『ダ・ヴィンチ』2006年4月号/特集「文化系女子としたい」



ダ・ヴィンチ 2006年 04月号

ダ・ヴィンチ 2006年 04月号




 文科系男子に聞く文化系女子と何がしたい?


 3位/Hしたい
 互いの孤独をうめあいたいので……(24・大学院生)、Hだけじゃなく結婚を前提に(30・会社員)、文科系女子とほんのひとときでも同化していたいので(29・会社員)、冷え性っぽいので、温めてあげたい(22・会社員)、あまり穢れていなそうな気がする(29・会社員)、ふだんとのギャップが見られそうだから(18・高校生)


 (『ダ・ヴィンチ』2006年4月号、33頁)



 なんか……、うわー。
 特に29・会社員さん(一人目)はご自愛ください。わりと本気で心配です。
 というわけで、blog開始時からやらなければならないと思っていた、2007年現在最強の地雷トピック「文化系女子」について、満を持して、取り上げていこうと思う。できれば、この話題には触れたくなかったのだけど、そういうわけにもいかないだろうと思うし、「逃げちゃダメだ(×3)」ということでw このエントリを書き出すまで、どういう立ち位置で書けばいいのかひどく悩んだのだけど、「文化系女子」という言葉・カテゴリーへの距離の取り方は、それほど/とにかく、むずかしい。「文化系女子」という言葉は、出版業界の商業的な思惑やら文科系男子の欲望やら文化系女子の自意識やら自意識の低い文科系女子の支持やら作家や批評家の計算や打算やら、いろんな思惑が周辺に入り乱れていて、それらのいろいろ入り乱れている思惑によって支えられているところに成立している。なので、特に男性(特に「文化系男子」)が取り上げようとすると、立ち位置の取り方が非常にむずかしいのだ。
 が、まずは状況を説明しておいた方がいいだろう。現在の「文化系女子」をめぐる状況を語る上で外せないのが、『ダ・ヴィンチ』2006年4月号の特集「文化系女子としたい」だ。とりわけ、表紙には「カワイイ」の角書きとハートマークが付き、「カワイイ文化系女子としたい♥」という活字が踊っている。まさかカワイイ文化系女子蟹工船のタコ部屋で重労働に勤しみたいなんて人はいないだろうから、このキャッチが何を言わんとしているかは明らかだろう。で、目次には、「文化系女子のいる場所」「文化系女子はメガネが似合う。」「文化系女子は笑わない。」「文化系女子はときどき死にたくなる。」「文化系女子は散歩する。」「文化系女子は言葉でイク?」「文化系女子は図書館が好き。」「文化系女子はひとりで遊ぶ。」「文化系女子は太陽がキライ。」といったタイトルが並び、「素敵な文学少女と出会えたらいいな…」と妄想している少女マンガ好きの男子高校生が抱いているようなステレオタイプの列挙となっている。
 まあこうしたイメージ自体は小説や映画などでも繰り返されてきたものなのだけど、問題は、『ダ・ヴィンチ』というメジャーな雑誌が本谷有希子やら堀北真希やら未映子やら渡辺ペコやら書店員さんやらといったメガネ女子をグラビアに載せたりすることによって、現実の読書&サブカル好きの女性たちに「男子高校生の文学少女への欲望」を投影し、本来日の当たらないところにいた(というより、トカゲとかヘビとかムカデみたいに日の当たらない場所を選んで生息していた)「文化系女子」を、男性の視線に眼差される欲望の対象として、日の当たる場所へと浮上させてしまったことにある。で、当然、『ダ・ヴィンチ』が出ると同時に、当の「文科系女子」に属するような女性たちはこの特集に反発し、blogなどで嫌悪感や不快感を示したわけだけど(文化系女子に光を当てないでください。@妄想系乙女の末路。)、「文化系女子」は「萌え」による他称なのだから、「眼鏡っ娘萌え」と呼ばれるのが嫌だから眼鏡をかけないわけにはいかないのと同じように、おそらく彼女たちの批判や無視によってこの言葉がいつのまにか廃れるなんてことはないはずだ。
 で、男性であり、おそらく「文化系男子」ということにもなるであろう身には、「文化系女子」に対する立ち位置の取り方はむずかしいという話に戻るのだけど、まあはっきりいって、「文化系女子」に萌えてないとは言えないよね、というところはカミングアウトしておかないと嘘になると思う。『ダ・ヴィンチ』のこの号は書店の店頭で見た瞬間から気持ち悪かったのだけど、これはいわば同族嫌悪で、「文化系女子」への欲望自体は『ダ・ヴィンチ』とも「文化系女子萌え」の「文化系男子」とも共有していて、それを直視するのが嫌だという、ただそれだけの違いなのかもしれない。その点は認めておこう。男性ブロガーが単純に『ダ・ヴィンチ』を批判する立場を取ろうとした場合、彼らが文化系女子にもてたいと思っていないとは誰も思わないのだから、『ダ・ヴィンチ』に嫌悪感や不快感を表明する文化系女子たちにもてようとしてるだけだよね、ということになってしまう。どんな立ち位置であろうと、「文化系女子」について語ろうとした瞬間に、『ダ・ヴィンチ』が作り出した文脈の中に取り込まれてしまうわけで、なかなか厄介なのだ。
 では、どのようにすれば、『ダ・ヴィンチ』を批判できるかといえば、こういうときは、手間を惜しまずにいちいちツッコミを入れながら読んでいくしかないと思う。というわけで、blogで取り上げるためにわざわざネットで『ダ・ヴィンチ』を取り寄せて読んだのだけど…いや、苦しかったw 「こんなの恥ずかしくて読めないよ」というところを一ヶ月くらいかけてなんとか読み終えたので(がんばった、おれw)、今回、一頁ずつ紹介していこうと思う。



 1頁目
 タイトル:文化系女子としたい
 リード文(11行)「文化系女子はいつもひとりでたたずんでいる。文化系女子はここではないどこかを想っている。彼女たちの生きる場所はどこに――」(略)
 グラビア:堀北真希の写真三枚。



 リード文は、「文化系女子たちの紡ぐ言葉に/耳をかたむけてみませんか。/文化系女子の世界に触れたいあなたに。/文化系女子と何かをしたいあなたに。」と締める。「文化系女子の世界に触れたいあなた」や「文化系女子と何かをしたいあなた」は、まあ男性ということになるだろうから、この特集は男性読者向けに「文化系女子」を紹介する立ち位置で語られていることがわかる。



 2-3頁目
 タイトル:文化系女子のいる場所
 リード文:「たとえば、ひとりの部屋で静かに本を読んでいる、/たとえば、窓から夜空を眺めながら空想にふけっている、/そんな文化系女子の薫りを漂わせる、堀北真希さん。」(略)
 内容:堀北真希interviw 少女が本を読む理由/豊島ミホ「足の裏に闇夜」(小説)
 グラビア:堀北真希の写真二枚。



 『ダ・ヴィンチ』の「文化系女子」特集の特徴は、「文化系女子」を萌えの対象にしようとする編集部と、「文化系女子」のモデルとなるクリエーターたちの自意識が共存していて、ものすごい矛盾したテクストと化している点にある。豊島ミホの小説「足の裏に闇夜」は、「今夜は月がない。少女には感覚でわかる。ベッドの上の羽根布団で、両脚をかかえておさなごのポーズでじっとしていても、わかる」とステレオタイプな少女イメージからスタートし、「少女は目を閉じる。罪悪感から、衝動を一瞬のものとしてやりすごそうとする。けれどもそれは抑えきれるはずもなく、髪の毛のさらさら落ちて、夜にこぼれていってしまう」「少女は目を開けて、感情に世界を許す。飛べ、広がれ、私の胸の奇形たち」と暗い自意識のイメージを広げていく。が、やはりイメージが美しすぎるかな。



 4-5頁目
 タイトル:これが文化系女子の生きる道
 グラビア:「文化系女子はメガネが似合う。」のサブタイトルを下に、18人の「メガネ女子」の写真を掲載。本谷有希子(劇団主宰)、未映子(ミュージシャン)、豊島ミホ(作家)、渡辺ペコ(マンガ家)書店員の女性8名、会社員2名、派遣社員2名、アルバイト1名。


 6頁目
 タイトル:渡辺ペコ描き下ろしマンガ/文化系女子は笑わない。
 内容:渡辺ペコ「みたらいさんのこと」


 8-9頁目
 タイトル:文化系女子は散歩する。文化系女子におすすめ/根津・谷中周辺お散歩案内



 「文化系女子はメガネが似合う。」は、やはり美人なのは本谷有希子未映子。が、ふたりともきわめて自意識が強いことがわかっているので萌えるかと言われると微妙。渡辺ペコ「みたらいさんのこと」は、一見知的でクールな美人であるみたらいさんが実は自意識が強い変な女だ、というあたりをさらっと描いている。



 7頁目
 タイトル:文化系少女はときどき死にたくなる。
 内容:未映子interviw
 引用①(未映子の発言):文化系女子って要するに自意識のバケモンやと思うんですよ。自意識が過剰。過剰すぎる。それこそ森羅万象、何にでも飛び火するから自由になれないんです。
 引用②(未映子の発言):でも文化系女子が本当に死にたいかと言ったら、死ねないですよ。なにせ自意識のバケモンですから。そこまでは酔えない。醒めてしまう。この悲しくもうざいサガ。(中略)本物の文化系女子はいたづらに死ねないですから。ただ、そんなにまで肥大した自意識にうしろめたさを感じてて。常に本気の自己嫌悪で潰れそうになってて、恥やと思ってる。こんな自分あかんと。そこが文化系女子の最後に残った乙女心で、自分大好きな不思議ちゃんとはそこが違う。



 未映子は、現在作家川上未映子として『わたくし率 イン 歯ー、または世界』を出版し話題となっている作家&ミュージシャン(blog「川上未映子の純粋悲性批判」)。彼女は「文化系女子」を「自意識のバケモン」としているわけだけど、とても「同化」できるような相手ではないよね、というあたりをはっきりさせている点で重要な発言。しかし、これは彼女の「文化系女子」定義で、いまは「文化系女子」の中に「自分大好きな不思議ちゃん」も相当数含まれるように思う。「文化系女子」は、従来読書、マンガ、映画、演劇、音楽など趣味領域の違いで分散していた「文化的なことに興味のある女子」を一括りにすることで可視化したカテゴリーなわけだけど、今度は、「自意識の濃淡」によって、自意識の強い「本物の文化系女子」と、さほど自意識が強いわけではない「自分大好きな不思議ちゃん(=カワイイ文化系女子?)」に分かれるということになるのかもしれない。自意識が強いタイプ「文化系女子」を、フェミニンな感じがする「カワイイ文化系女子」が慕う図はよく見られるし、『ダ・ヴィンチ』のこの特集も自意識が強い「文化系女子」(作家・文化人)を、彼女らに憧れる女性読者の自意識の弱い「文化系女子」に紹介するという構図になっている面がある。自意識って誘蛾灯みたいなところがあるので、それが強い人間はトラブルも起こしやすいし付き合うと厄介なのだけど、やはり人を強く惹きつける魅力的な存在なのだ。



 10-11頁目
 タイトル:文化系女子は言葉でイク?/本谷有希子×穂村弘


 引用①:
 本谷 私、そもそも自分が文化系女子に入ってるかどうかがわからないんですが……「オタク」ではありますけど。
 穂村 僕にとって本谷さんのイメージは凶暴なんです。芝居を見ていて、本谷さんはたぶんきれいじゃないと思っていたんですよ。でも、会ってみたら美人だった。ここにはからくりがあるように感じる。もしも自分が美人な女性だったら、表現の上で、ここまで過剰なアクティブさにはならないと思う。
 本谷 昔、大変な思いをしたとか、虐げられたとか、そういうものがあったというわけではなく、無理矢理突き刺さろうとしている感じ。ほんわかしている恋愛小説を自分が書こうかと思うと、本当にしゃらくさくなってしまうんです。柔らかいものや脆いものを書いていることに、ある瞬間、嫌悪みたいなものがこみあげてくる。骨太なものをつくりたい!と思ってしまうんです。
 穂村 女の子らしい、ロマンティックな夢とかないの?
 本谷 拒絶しちゃうんですよね。


 引用②:
 穂村 僕の中の文化系女子というのは、「主体的な男性の夢破れたときに傍らにいて一緒に手首を切る係」をやることに違和感を強く持つタイプ。けれども自分がその男の役をやろうとは到底思えない人なんです。男性型の主体性も、傍らにいる役も拒否する。本谷さんも、夢破れた男性の傍らにいるところが想像できないですよね。もしいたとしても、男性はフィクサーとか、岸信介みたいな人とか(笑)……そもそも、恋愛の対象は男性?
 本谷 一応、男性です(笑)。好きになる人は極端なのかも。私にとってものすごく尊敬できて、「これはいい!」と思える主体性を持っている人か、とことん主体性がなくて、私の主体性のフォローに回ってくれる人。そのどちらか。
 穂村 同世代では想像しにくいね。ほとんど敵わないでしょ、本谷さんに。



 ふたりの会話は、すさまじいすれ違っぷりで、よくこれで会話が成立していると思うほどだ。引用①では、本谷は「自分が文化系女子に入ってるかどうかがわからない」と言ってるのに、穂村は「本谷=文化系女子」という前提で喋っているし、本谷が美人であるにもかかわらず過剰な表現を選んでいることを「からくりがある」などというのも、「もしも自分が美人な女性だったら」と想像しているにもかかわらず、想像力が欠落している。穂村が、自分で言うように、もし美人女性に生まれて来ていたら創作に過剰さを持ち込まない、そんな程度の人間であるはずもない。どう見ても「からくりがある」のは穂村の発言の方なのだ。で、きれいごとに終始する恋愛小説を書こうとすると嫌悪感がこみ上げてくるというまっとうな自意識を語る本谷に対して、穂村はこともあろうに「女の子らしい、ロマンティックな夢とかないの?」。
 引用②では、穂村は、「文化系女子」を「男性型の主体性も、傍らにいる役も拒否する」と言ってるのに、本谷は付き合うのは「主体性を持っている人か、とことん主体性がなくて、私の主体性のフォローに回ってくれる人。そのどちらか」と言っていて、つまり主体性のある男の傍らにいることもあれば、女性である自分が主体性をもつ男性的な役割を担って、男性がサポート側に回るような関係もありだと言っている。穂村の言うことをまるっきり否定しているw なのに、穂村は「同世代では想像しにくいね」と受ける。本谷は強い女性なので、同世代の男では敵わない、年上でなければダメだろうと言いたいのだろうけど、いや、たぶん、本谷は同世代の男と付き合ってると思うぞw なにこの会話w 結局のところ、自分の頭の中にある「文化系女子」のイメージを目の前にいる女性(本谷)に当てはめようとする穂村と、別に自分が「文化系女子」だなんて思ってもいなければ、対談相手の「文化系女子」観に自分を合わせる義理もなく、一女性として自分が感じていることを率直に語っている本谷のすれ違いばかりが際立つ(けれど本人たちはそのことを意識していない、大ぼけな)対談となってしまっているのだ。



 12-13頁目
 タイトル:文化系女子は図書館が好き/文化系女子のためのブックガイド


 14-15頁目
 タイトル:文化系女子はひとりで遊ぶ。文化系女子は太陽がキライ。/嶽本野ばらinterviw
 上段囲み記事:ダ・ヴィンチ読者が選ぶ憧れ文化系女子


 16-17頁目
 タイトル:「カワイイ」の保存法/水森亜土interviw
 上段囲み記事:文科系男子に聞く文化系女子と何がしたい?



 「文化系女子のためのブックガイド」は、市川慎子が担当(海月書林)。この方も状況がよく見えている方らしく、尾崎翠野溝七生子森茉莉武田百合子矢川澄子金井美恵子川端康成三島由紀夫室生犀星など、バランスがよく、ツボを押さえたセレクト&紹介となっている。二階堂奥歯『八本脚の蝶』(HP「八本脚の蝶」)も紹介されているけれど、彼女が存命なら「文化系女子」というレッテルには執拗に抵抗しただろうと思う。
 「嶽本野ばらinterviw」は、取材・文担当のライターの文章と、嶽本野ばらの発言の間に距離があり、「どうしてひとりが好きなのかといえば、とどのつまり、我が儘なんですよ」といった調子で極力普通に喋ろうとする野ばら先生の発言を、ライター氏がいちいち「孤高を愛する文化系女子。ひとりを貫くことに、淋しさを感じることはないのだろうか」などと、美文フィルターで「素敵な文化系女子」像に無理矢理変換していくへんてこ記事となっている。
 「ダ・ヴィンチ読者が選ぶ憧れ文化系女子」は、ばなな、江國、角田、綿矢、嶽本、柳美里辛酸なめ子と、作家・ライターに集中したラインナップ。
 「文科系男子に聞く文化系女子と何がしたい?」は、1位/文化的・芸術的な話をしたい、2位/いっしょに出かけたい、3位/Hしたい、4位/いっしょに何かを創作したい、5位/ただ、そばにいたい。冒頭で「3位/Hしたい」を紹介したような内容なのだけど、「文化系女子」に萌えている「文化系男子」の姿を思い描くと、ちょっとばかり頭痛がするのも確かだ。特に、「たくさん本を読んでいたり、映画などにも詳しそうなので、いろいろ教えてほしい」(19・専門学校生)、「話をするというより彼女が好きなものについて話を聞けたら……」(34・会社員)、「眺めていられるだけで幸せなので……」(21・大学生)といった受身な感じがする文化系男子についてはそう思う。このことについては、また稿を改めて書こうと思う。(参考blogを挙げておく。文化系女子はエイジレス(ウワー)@妄想系乙女の末路文化系女子は女子側から男子を誘うのか@想像でものを書くものは銃殺刑を覚悟せよ


 というわけで、このエントリもそろそろまとめにしたいのだけど、『ダ・ヴィンチ』の「文化系女子」特集は、本谷有希子未映子渡辺ペコ豊島ミホ市川慎子、そして嶽本野ばらといった「本物の文化系女子」(@未映子)に、「文化系女子」が生半可な男には手に負えないような強烈な自意識をもつ存在であることを語らせつつ、一方で、洗練された誌面作りやキャッチコピーといったマジックを駆使することによって、男性読者の欲望の対象としての「カワイイ文化系女子」のイメージ作りに成功している。それがどのようになされたかといえば、「文化系女子は自意識のバケモン」(@未映子)という叫びを、「文化系女子はときどき死にたくなる。」という消費しやすいキャッチに変換することによってなのだ。
 したがって、「文化系女子」に萌えたい「文化系男子」は、『ダ・ヴィンチ』の手法に学んで、穂村が本谷に対してやったように、彼女らの自意識をことごとく自分たちに消費しやすいように変換していけばいい。逆に「文化系女子」は、絶えずこうした変換・解釈に晒されることになるわけだけれど、だとすれば彼女らがいかに「文化系女子」というカテゴリーに嫌悪感を示しても無駄だということになる。なぜならば、消費の対象となっているのはおそらく彼女たちの「自意識」そのものであり、「文化系女子」というレッテルを拒むという形で表現された自意識もまた「カワイイ文化系女子♥」の記号ということになるからだ。「ツンデレ萌え」みたいなものだ。たんに「カワイイ女子としたい♥」というのではなく、「カワイイ文化系女子としたい♥」ということの厄介なところがこの点であり、一度欲望が駆動してしまった以上、「文化系女子」が何を言ったところでもう誰も耳を貸したりなどしないであろうことは、すでに明らかだろうと思う。「文化系女子たちの紡ぐ言葉に/耳をかたむけてみませんか」などという言葉に従って、「文化系女子」に傾けられる「耳」にはすでに/常に変換フィルターが装着されているのであり、彼女らの自意識の叫びが、彼らの「耳」に届く可能性など、ほぼ皆無に等しいからだ。
 誌面に登場する「文化系女子」たちは、皆、「だから、文化系女子はかわいくないんだってば!」と声を大にして言っているにもかかわらず、「カワイイ文化系女子としたい♥」なんだもんな。
 絶望せよ、文化系女子


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