休日



 昨日は、友人から川上未映子サイン会の情報が入り、急遽駅前まで足を運び、無事本を購入&整理券を入手できたのですが、同じ友人からまたメールが入り、今仙台で上映中の映画のパンフレットを購入しておいてほしいと頼まれたので、駅前からアパートまでの帰り道にある映画館に立ち寄りました。友人は今仙台に住んでないんですよね。
 ところが、担当の方は、この映画のパンフレットは全国的に品薄なので、当映画館で映画を観ていない方にパンフレットだけお売りすることはできないとのこと。


 まあ、もっともだ。それでどうしたか?


 仕方ない。映画を観ることにしましたよ。今週は試験問題をいくつか作らなければならなくて、めちゃくちゃ忙しいんですけど、友人からは川上未映子と言葉を交わせるチャンスが得られるというプライスレスな価値を持つ情報を提供してもらって、今借りができたばかりなわけですからね。ギブアンドテイクというもので、これくらいお安い御用です。
 ……と言いつつ、実は苦渋の決断で、映画は19時から21時までだったんですよね。映画を観れば、忙しい今週一週間の準備ができる貴重な休日はもう終わってしまうわけです。チケットだけ購入して研究室に戻るという手もあったんですけど、お金がもったいないとかではなくて、そこまでクールに割り切ることはしたくない(というか、できない)ですし。


 で、映画を観たんですけど、うーん、全体的にはダークな雰囲気で悪くなかったんですけど、ラストがよくないんですよね。それまでずっとストーリーを引っ張ってきた登場人物たちの関係性の中でのこだわってる部分が、結末でこだわりが反故されてしまったにもかかわらず、あっさり許してしまう。しかも、それを言葉でやりとりさせてしまうんですよね。「もし〜したら許さない」と言っていた男の子が結局女の子がそれをしても許すだなんてことは観客はわかっているし、男の子が結局許すということは、観客が気恥ずかしくなってくるような台詞のやりとりを延々とさせなくても、ふたりが寄り添ってる姿を描くだけで、観客には伝わるはずなんです。なのに、わざわざ台詞にしてしまうっていう辺りに映画としての未熟さを感じたんですよね。……でも、多いですよね。最近のアニメって、こういうの。
 上映終了後、若い男の子がつまんないって言っていたし、映画単体としては惜しいところで失敗だったのではないかと思います。見所もたくさんあったし、観て損をしたとは思いませんけどね。


 というわけで、昨日は友人の情報に翻弄された一日でした。というか、あいかわらずぼくの優先順位はおかしくて、こういうのもなんとかしないといけないなあ、と思います。




 未映子「悲しみを撃つ手」(2005)