解いてくのが楽しいんだ



 今週は、試験問題を三つ作らなければならないし、赤点ばかりにならないよう、授業の中で試験対策をやらなければならないし、たいへんですね。
 おそらくそれだけで一週間が潰れるでしょうね。


 なんかいつもギリギリになってしまうんですよね。早め早めに動くことができなくて、それでも今まで一度も遅刻したこともないし、授業で大きくボロを出すこともなく来ているのは、ぼくとしてはよくやってると思うんですよね。
 教師って、責められることもない代わりに、誉められることもないですよね。まあ(社会人として)できて当然という話なんですけど、やりがいの部分は生徒との関係でしかない感じがします。進学校なら何人合格させたとかシビアな評価があってまた違ってくるんでしょうけど、それはそれできつそうですけどね。


 ちょっと承認の不足というか、満たされない思いは残る仕事なのかなあ、とも思いますね。まあ教師は生徒に「承認」を与えてあげる側なわけですが。そういう意味で、大学/研究に向かう気持ちが自分の中でまた違ってきていますね。大学/研究の世界というのは、「承認」が与えられる場としては、やはり大きな力を持つ場なんだと思います。
 まあ、生徒との関係の中で満たされちゃったりすることもあるんですけどね。生徒たちは生意気だったり喧しかったりする子も、なんだかんだ言って、かわいいですし。


 昨日は、授業を受け持ってるクラスの女子生徒たちに「かわいいよねー」と言われたので、ちょっと嬉しいです(笑) まあ、ぼく子どもですからねー。
 さっぱり世慣れてないし、先生らしくもなく。そりゃかわいかろう。


 ぼくは、すごく「自分を見る自分」の意識(自意識/メタ)が強くて、おそらくプライドも高いんですけどね。もともとのスペックやアウトプットの洗練されなさかげんが、高すぎる自意識なりプライドなりに全然伴ってなくて、そのことを自覚しつつ開き直って振る舞っている結果、動物(天然/ベタ)っぽく見えてしまうというようなことだと思うんですけど、いいんだか悪いんだかよくわからないですね。まあいいんですけど。
 でも、ぼくに限らず、頭がよくて、自意識が強くて、プライドが高いのがわかるのに、動物(天然/ベタ)っぽく見える人っていますけど、あれはなんでなんでしょうね。他者が魅力的であったり、自分が他人にとって魅力的な他者であったりする理由の根源にかかわることだと思うのですが、むずかしいですね。


 HALCALI「Tip Tap Tips」