「映画」と「映画じゃないもの」―実験映画としての岩井映画



 花とアリス - 蒼井優が制服でバレエを踊る





 週末はずっと後輩と岩井俊二についてディスカッションしていたのだけど、岩井映画のおもしろいところは、「映画」と「映画じゃないもの」が混在させられており、前も書いたように、「これってはたして映画と言えるのかどうか?」という非常に微妙なところで成立している点にある、という認識は変わらない。


 例えば、『花とアリス』では、ラスト近くで蒼井優が演じるアリスという少女がバレエを踊るシーンがあり、このシーンがあまりにも強く印象に残ってしまうために、映画館を出た観客がどんな会話を交わすかといえば、「蒼井優が踊るシーン、きれいだったねー」ということになってしまう。そのせいで口の悪い映画マニアに、「この映画は蒼井優がかわいいだけの萌え映画で、映画としては二流だ」などという悪口を言われることになるわけだけれど、このとき映画マニアが言う「映画」は、実は自分の中にある「映画というものはこうあるべきだ」という既成の固定観念にものに縛られたものにすぎない。
 映画なんてできてからたかだか百年くらいのものにすぎないのだし、どんどん変わっていっていいし、新しい映画を作っていっていい。映画マニアの中にある「かくあるべき映画」のイメージなんかに付き合う必要は全然なくて、映画のストーリーやテーマより、バレエのシーンが印象に残る映画があったっていい。岩井はPV出身なので、「岩井映画は本質的にPVであって、映画ではない」といった悪口を言われがちなのだけど、別にPVみたいな映画があったっていい。それが映画でないと誰が決められるのか。


 一方で、岩井自身が、映画の中にPVという「映画じゃないもの」を混在させることで、「映画じゃないもの」で「映画」を作れるのかどうか試みていた節があり、結果として「映画じゃないもの」が出来上がる可能性も念頭に置いていたのではないかという気もする。チャラのライブ映像が挿入される『スワロウテイル』とか松たか子のPVみたいな『四月物語』(もともとPV製作から話が始まっている)とか、岩井のフィルモグラフィーを見ているとそう思う。岩井は、そもそも「映画じゃないもの」を作ろうとしていたのではないか?
 岩井は、2000年以降、サッカーや映画監督についてのドキュメンタリーを手がけており、もともとPVやCMを手がけていたことからしても、トータルとしては「映画監督」という肩書きよりも「映像クリエーター」といった方が相応しい。けれど、じゃあ、岩井映画が映画ではないかというとそうも言い切れない部分があるわけで、ようは、映画というジャンルの条件について考えさせることこそが岩井映画のおもしろさなのだと思う。


 PV、CM、TVドラマ、ドキュメンタリー、アニメーション、ホームビデオ、動画、そして映画。さまざまな映像ジャンルがある中で、「映画」とはどんなとき、どんな風に立ち上がるものなのか、映画を作ることにおいて考えること。そういう意味では、岩井映画は、あれだけ多くの観客を動員するにもかかわらず、実は常に実験映画なのだろうと思う。




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