大人になりましょう



最新型のピチカート・ファイブ

最新型のピチカート・ファイブ



 ピチカート・ファイブのミニアルバム「最新型のピチカート・ファイブ」(1991)には、「大人になりましょう」という曲が収録されており、全編にわたって、日本映画から引用された台詞がコラージュされている(担当は、喜多川隆&沼田元気)。この曲は、アルバム『女性上位時代』(1991)にも収録されているが、アルバム版からはコラージュは削除されている。
 で、日本映画から引用された数々の台詞というのが、やたらとおもしろいのだ。「大人になりましょう」というタイトルに合わせて、大人と子ども、若者、青春、男と女……といったテーマで選び取られた台詞の数々は、大まじめなのに古臭すぎて笑ってしまうのだけど、こんな風にダンスミュージックでコラージュされると、一周してカッコよく聞こえるというw


 それで、まあ、いまだに大人になりきれていないぼくとしては、自虐的なユーモアで笑えるというのがあるので、10代の頃から聴いている曲なのだけど、いまだに何年かに一度マイブームの時期が来る。もちろんいまも来ているわけなんですけど。
 ……というわけで、「大人になりましょう」でコラージュされている台詞を、以下に一部抜粋。



「はっはっはっはっはっ、近頃の若い者にはかなわんね」
「この頃の若い人ったら、呆れてものも言えないわ」
「あーら嫌だ、わたしそんな大人ぶった人大嫌い」
「わたしは若さを楽しめばそれでいいんだわ」
「まだ大人じゃありませんよーだ」
「あんたたちはまだ子どもですよ」
第二次世界大戦後、世界は若さに寛大すぎた」
「今の若い人は、みんなそんな風にお考えなんですか?」
「仕事と家庭? そんなものに順序はつけられないだろ。仕事があるから女房子どもを養える。女房子どもに家庭があるから仕事に力が入る気持ちになるんだよ」
「幼い恋か……」
「男って昼も夜もひとつのことしか頭にないのね」
「初めてのときはちょっと緊張しました。いままで今まで一度も経験したことがなかったからです。でも、おかげでいい勉強になりました。とても大人になった気がします」
「大胆なポーズじゃないですか。かなわないな、大人には」
「大人なんて大嫌いっ! 不潔よっ!」
「へん、どっちみち大人なんて、てめえの都合のいいように若いモンを利用するだけだからな」
「ジェネレーションの違いよ」
「大人はぼくたちを変な目で見るけど、よっぽど大人の方が汚いよ」
「大人ってつくづく陰険だと思うわ。裏表がありすぎるわ」
「あたしたちはかわいこちゃんじゃないわっ! 大人たちに都合のいい、純潔と誠実と寛容なんてお断りよっ!」
「わたし、あなたとなら幸せになれそうな気がするよ」
「うん、お父さんの結婚はね、つまり、愛情のない結婚だったんだよ。」
「ねえ、結婚してよ。あたしだって寂しいのよ……。案外いい奥さんになるわよ」
「本気かい?」
「あなたもやっと大人になったのね」
「俺が? そうかね……」



 ……という感じなのだけど、ここ数年、ぼくも日本映画を観るようになったので、幾つか元ネタに気づいている。
 例えば、「大胆なポーズじゃないですか。かなわないな、大人には」は、『鍵』(監督市川崑、原作谷崎潤一郎、1959)の台詞だし、「あなたもやっと大人になったのね」「俺が? そうかね……」という男女の会話は、『浮雲』(監督成瀬巳喜男、原作林芙美子、1955)から引用されている。
 「ねえ、結婚してよ。あたしだって寂しいのよ……。案外いい奥さんになるわよ」「本気かい?」は、吉田喜重『甘い夜の果て』(1961)からの引用なのだけど、流れはこんな感じだ。



「ねえ、わたしゆうべ眠れなかったの。いろんなこと考えちゃって」
「あんたらしくないな」
「わたしだって女ですもの。わたし、あなた好きになっちゃった。結婚してくれない。結婚してよ。わたしだって寂しいのよ。案外いい奥さんになるわよ。あなたに不自由させないわ」
「本気かい?」
「本気かって冷たい言い方ね」
「結婚してもいいよ」


 吉田喜重『甘い夜の果て』(1961)



 ところが、この直後女は豹変し、「本気にした? アハハハハッ!」と男をバカにする。そういう野心と本気が相半ばする男女関係が描かれている映画なのだけど、まあ古いよねえw
 けれど、50年代に作られた映画はモダンなものが多くて、古い言い回しが意外に新鮮に聞こえることがある。ピチカート・ファイブもその辺りを狙ったのだろうけれど、とりわけ吉田喜重はめちゃくちゃモダンで、台詞回しがとても新鮮なので、幾つかの作品から引用しておく。



「あたしが処女かそうでないかどうして気にならないの? 普通の男性だったら気にするのが当然だと思うわ。それともそんなこと気にならないくらいわたしのこと好きなのかしら」
「結婚するときは絶対に相手の過去を気にしないと、ぼくはずっと思ってきた」
「自分も経験してるからそんなこと言えるんでしょ。うふ、いいの、いいのよ、わたしが静雄さん選んだんですもの。ねえ、男の子って女と違ってつらいんですってね。静雄さんどうしてたの? ねえ、話してよ。教えてよ」
「自分のけちな価値観で他人を計るのはよせっ!」
「しかし結婚ということと肉体がうまく結びつかないんだ」
「いつかは聞かれると思ってた。でも、あなたももう大人。わかってくれるわね」
「あんたも結婚して以来急にいい女になったな。どうだい、もう女の喜びがわかったかな」
 以上、吉田喜重『水で書かれた物語』(1965)


「だってそうでしょ。愛のない結婚生活なんて罪悪ですわ。あたしならとても耐えられないことです」
「あなたは自信があるとおっしゃるのね?」
「ええ、あの人があたしに求めてるのは愛だけ。わたしもそれだけを求めて満足してるんです。社会的な地位とか、古畑家の資産なんてわたしにはわずらわしいだけですわ」
「母がどうしてそんな人と」
「ぼくもそうと知ったとき腹が立った。ぼくも男としての誇り、虚栄心があったからね」
「きみは意外と平気な顔をしてるな。いざとなれば女は大胆になるというのは本当だ」
「でもあたくしは自堕落な女です。もっともっとふしだらな女なのです。あたくしはたしかにあなた以外の男と寝たことがあります。光晴さんとは違う、別の人と。それは名前も知らない、行きずりの、海辺の工事現場で働いていた労務者でした。わたくしはその人に自分から会いに行ってしまったのです。決してあなたを憎んだり、傷つけようと思ったからではありません。あたくしは喜んでその人に抱かれてしまったのです」
 以上、吉田喜重「情炎」(1967)


「ぼくたちは清潔そのものじゃないですか。手さえ握ったことがない」
「嘘だ。奥さんは自分を騙してるんだ」
「若い人はいいですね、元気があってね。まだ子どもね」
 以上、吉田喜重『甘い夜の果て』(1961)



 もはやツッコミを入れる気にもなんねーぜw 台詞だけでもすごい世界だ……。なんというか、どの言葉もとても味わい深い。しかも映画はとてもモダンでオシャレなんですよ。いまも観るに耐える。
 そして、このエントリでは「古いよねえ」と笑ってるんですけど、大人と子どもとか、若さと青春とか、恋愛と結婚とかいったテーマが戦後の日本において大問題だったこと、さらに実はその辺りのテーマって、日本の社会において解決されたわけではなくて、ニート問題だったりであるとかに形を変えて、解決されないままいまも引き継がれているんだよねえ、とも思ってるんですよ。


 ……というわけで、ここしばらくプロフィールの自己紹介コメントで使っていた文章についてのネタばれでした。
 ではでは。


 吉田喜重『煉獄エロイカ』(1970)



 Pizzicato Five「Number Five」(1991)