黒澤明を観る(1)―『椿三十郎』『酔いどれ天使』『天国と地獄』



 黒澤明シンポジウムをきっかけとして黒澤映画を全部観てしまおうと思い立ち、現在攻略中。観たのは全31本中15本、丁度半分あたりまで来たので、経過報告。


椿三十郎<普及版> [DVD]

椿三十郎<普及版> [DVD]



 『椿三十郎』(1962年)。黒澤明の映画には、情が濃く世話焼きで、実際に頼りになるのに、しかし非常に照れ屋で、ひどく口が悪いというタイプ―つまり、ツンデレなキャラクターがやたらと出てくるのだけど、とりわけ椿三十郎三船敏郎)は代表的なキャラクターなんだろうなと思う。
 第三者の浪人なのに、不正重臣たちに体よくあしらわれようとしているお人好しの若侍たちに肩入れ。しかし、あまりに侍の規範から外れているものだから、なかなか信用されず、三十郎が敵方の様子を覗いてくるといって出ていくと、「あいつは信用できるのか?」と、若侍たちの間で喧々諤々の議論となる。


 「あの人は、城代家老の奥方が塀を乗り越えるとき、躊躇なく背中を踏み台にするように申し出た。いい人に違いないっ!」とか、なんだかたいそうかわいらしい議論が展開されてほのぼのするのだけど、結局、四人の若侍が三十郎の跡を付けることになり、そのせいで三十郎は無駄に十数人を斬る羽目になる。
 それで、三十郎は、「おまえらのせいで無駄な殺生をしちまったぜ!」と本気で若侍たちに怒るのだけど、元はといえば、三十郎があまりにツンデレなのが原因なのであって……。こうなると、ツンデレもたいがいにしておけと言いたくなる。


 善の側である城代家老の奥方と娘がなんだかやたらと呑気で、これも楽しい。奥方と三十郎の間では、名前を聞かれた三十郎が「三十郎という名前だが、年を食ってもうすぐ四十郎だ」と言うと、奥方がバカ受けするなどという場面があり、全編に飄逸なユーモアが漂っている。
 有名な作品なので、この映画の魅力を知っている人は多いと思うのだけど、ぼくはしっかり観たのは初めてで、まあ名作はしっかり観るもんだよねえ、と思った次第。


酔いどれ天使<普及版> [DVD]

酔いどれ天使<普及版> [DVD]



 『醉いどれ天使』(1948年)。闇市のやくざ松永(三船敏郎)と、町医者真田(志村喬)の交流を描く。医者の真田がツンデレで、一本筋の通った男なので、誰もがこの人はいい人だと気づいているのだが、なにしろ口が悪く、「おまえなんか死んじまえっ!」という風で、たとえば、喀血した松永に対して、「おまえみたいなヤツにはいい薬だっ! せいぜいおとなしく養生するんだなっ!」という言い方をするのだけど、なに、このツンデレトーク
 で、こちらも直情型のやくざである松永とすぐ喧嘩になり、掴みかかる松永と口汚く罵る真田の間で、モノは投げるわ、罵声は飛び交うわ、というコント紛いの掴み合いが演じられるのだけど、医者のツンデレ発言や、コントみたいな掴み合いなど、この映画も観ていてとても楽しい。


 もちろん、松永も医者の男気を感じていて、医者が匿っている女を追って、やくざが医者の家を訪れると、喀血した身体を押して、「この先生には一方ならぬ世話になってるんで。今日のところはこのままお帰りください」と頼み込む。
 医者の方も、松永の病態が思ったよりも悪いと気づいたときなどに、この人はいつも苦り切った顔をしているのだけど、苦り切った顔のまま、しばらく動きが止まり、黙り込んでいる。この「間」に、観客は、医者の松永への思いを読み込むわけだけど、この映画で描かれているふたりの関係というのは、腐女子的に読み込んで楽しむこともできるんじゃないかな、と思う。


天国と地獄<普及版> [DVD]

天国と地獄<普及版> [DVD]



 『天国と地獄』(1963年)。大手靴メーカーの重役権藤金吾(三船敏郎)の息子を誘拐したと犯人から電話が入るが、誘拐されたのは権藤の運転手の息子だった。犯人は法外な身代金が要求しているが、いま一時的にでも金を犯人の手に渡してしまえば、権藤は会社の取引に失敗し窮地に陥ってしまう。権藤は、はたして身代金を用意するのか? というのが前半のストーリー。
 権藤氏がツンデレキャラで、最初警察に「口では自分の子どもでもないのに、金を出せるもんかっ!」と突っぱねているのだけど、犯人は「あなたに子どもを見殺しにできないですよ」と言い、奥さんは「あなたはお金を出すはず」と信頼し、会社のライバルや自分の部下は「あなたに子どもを見捨てる度胸はない」と嘲笑する。
 「本当はいい人だ」ということが周囲にはなぜか完全にばれており、そのおかげでいいようにその弱味につけ込まれる。自分が「いい人なのか、冷たい人間なのか?」という情報は重要なカードなので、伏せておいた方がいいわけなのだけれども、どうやら権藤氏はまったくポーカーフェイスができない人らしい。
 で、結局、お金を用意するわけだけど、身代金を入れる鞄を犯人の支持通りのものに改造しながら、「昔、わたしは職人でしてね……」「また、一からやり直しだ」と縫い物をしながら自嘲する権藤氏のすっかり毒気が抜けてしまった力ない姿が、なんとも泣けて切ないので、機会があれば一度観ておいてほしい。


 ツンデレとはまた違う話になるけれど、「天国と地獄」というタイトルについて、映画を観る前は、権藤氏が重役生活という「天国」から誘拐事件に巻き込まれるという「地獄」へと転落するという意味だと思い込んでいたのけど、映画を観れば、贅沢な生活を送る中産階級の社会(=天国)と、貧困層が形成する闇の社会(=地獄)の対比を反映したタイトルなのだということがわかる。
 映画の前半では、中産階級に属する会社重役の姿が描かれ、やたらと豪華な家だったり、高価な壺が置かれていたり、重役の息子がわがまま放題だったり、奥さんがいいところのお嬢様で人間がよくできていたりする。ところが、映画の後半では、金を奪った犯人を追う形で、観客は、刑事たちとともに、東京のアンダーグランドに誘われていくことになる。貧しい者たちが麻薬に溺れ、薬漬けになった女が廃人同様の状態に陥っているという地獄のような世界が描かれる。


 映画は、天国(=中産階級の社会)と地獄(=貧困層の社会)を、「高/低」という映像的なレトリックによって表現している。身代金の受け渡しの場面には「上から下へ」という垂直性の運動があり、犯人は権藤氏をターゲットにした理由として、「窓から毎日あなたの家を見上げていると、あなたのことが無性に憎くなったのだ」と権藤氏に告げる。Wikipediaによれば、この設定を表現するために、「スラムである港町を見下ろす丘上の権藤邸という舞台が想起され、浅間台から黄金町を一望できる横浜が選ばれた」という。
 また、画面は、前半で重役の家での場面は白っぽく、後半の闇の世界の場面は黒っぽく描かれており、「高/低」という対比を際立たせるものとして、「白/黒」という対比によるレトリックも用いられている。




 今回、黒澤映画は、エンターテイメント性が高く、物語を語るストーリー・テラーとしての力も抜群であり、やはり観てみるとおもしろいものなんだな、ということに、自分自身の発見として気づきましたね。
 もちろん、娯楽映画という枠を壊している映画もあり、エンターテイメント性とメッセージ性&思想性との関係やバランスといった点についても考えなければならないところが多々あると思うのだけど、とりあえず、ぼくにとっては、いま、黒澤映画が「発見」できたわけで、それはよかったな、と思います。