あまりにも暴力的な世界で、あまりに繊細な―押井守『スカイ・クロラ』評(2)



スカイ・クロラ (中公文庫)

スカイ・クロラ (中公文庫)



 押井守監督の映画『スカイ・クロラ』(公式ページ)について、もう少し書いておきたい。ぼくが観たシネコンMOVIX仙台では、奥行きが狭く、十列ほどの座席の段差が高いシアターでの上映となっていて、ぼくは運よく五列目という高さ的には丁度良いあたりに座ることができた。つまり、巨大なスクリーンが目の前にそそり立っている感じであり、映画の幕開けの空中戦闘のシーンで、空に呑み込まれるような感覚を味わうことになった。
 なので、映画が始まってからの数十秒の間に、ああ、もうこれだけでも十分元は取れた……と、ぼくは思った。みんなはそうではないのだろうか? ぼくはそれで、その後延々と続く、静かな日常の描写にも耐えられたところがある。


 対比なのだ。冒頭の戦闘シーンで戦闘機はリアルに描写されているし、エンジン音もすさまじく、映像・音ともに観客に対してきわめて暴力的なものとして迫ってくる。また、戦闘機が破壊される描写では、戦闘機だけが破壊されるのではなく、中に乗っている人間も破裂し、血しぶきが飛ぶという描写がしっかりされている。ここまでやるのか、ここまでエグい描写をするのかとぼくは思ったし、これはおそろしく踏み込んで暴力的な描写をする映画なのだという印象を持った。
 ところが、戦闘機を降りると、一転して静かな日常の風景が描かれていく。主要な登場人物たちは表面的にはクールであり、言葉数も少なで、淡々と仕事をこなしているように見えるが、しかし、実は、内面的には傷つきやすい感受性を持ち、過酷な状況に耐えることができず、誰かに頼りたいという気持ちを抱えている。映画では、そういう登場人物たちの心象風景や、コミュニケーションを通じて心を通い合わせたりすれ違ったりする光景が、例えば、微妙な表情の変化や視線の動き、手を握るときのためらい、カメラによるシーンの切り取り方といった形で、きわめて繊細に描写されていく。
 死ぬとか殺してほしいとか死にたいとか。この映画はメンヘル映画でもある。


 したがって、映画を観ていると、こんなにも繊細な登場人物たちが、戦闘に出るまでもない、戦闘機などといった暴力的な機械群ににさらされているだけで、いまにも破壊されてしまいそうで、あやうくもろく、危なっかしく痛ましい、という感情にとらわれていく。
 いまにも壊れそうな子どもたち……。映画は、戦闘、日常、戦闘、日常、戦闘、という流れを繰り返していくが、日常を描く場面が描かれるたびに登場人物たちの心は通い合っていき、したがって、にもかかわらず、どうすることもできない、という閉塞感、無力感、痛ましさ……もまた増していく。最後の主人公の決断はそうした他者とのコミュニケーションの帰結としてあるのだが、そういう過程を繊細な描写でじっくり長い時間をかけて観せられていると、観客の側もまた神経がすり減っていく思いがするし、心身とも消耗していく。当たり前だ。そういう映画なのだから。


 そして、結末……。そこに救いはないし、娯楽映画としてのカタルシスもない。
 しかし、それがいいのだ。映画のおもしろさは、楽しく愉快な一時をすごしたり、気持ちよく泣けたりすることだけではなくて、こういう形でのおもしろさというのもある。長い時間をかけて繊細に描写を積み重ねていくというじりじりしてくるような演出によって、どこにも行き場がない思いや閉塞感を、観客に体験させていく。映画体験としては、こういうものもありなのだ。


 『スカイ・クロラ』はロードショー公開された映画なのだという。それなりに宣伝費をかけ、広告展開し、それなりに多くの観客を動員したようだ。ぼくが観たのは、その劇場での最終日、金曜日の18時50分スタートという条件だったが、おそらくほぼ満員で、50人以上は入っていたと思う。
 観客には、女子高生の三人連れ、男子高校生の五人連れ、若いカップルを見かけたし、一人で来ているのは、男性では、大学生、サラリーマン、女性では、サブカル系のオシャレな女の子、それからこの子はオタクの女の子じゃないかな、という感じの子もいた。けれど、男子高校生の五人組は上映終了後の男子トイレで、「おれ、寝た」「おれも」という会話を交わしていたし、隣に座っていた女の子は途中で携帯電話を開いて時間を確認していたし、多くの観客は退屈さを感じただろうと思う。
 多くの観客にとって、この映画は、若者に絶大な人気を誇る森博嗣の小説『スカイ・クロラ』をアニメ化したロードショー映画なのだろうと思うし、ならば、そういう反応になるのは当然かもしれない。


 けれど、退屈だったのあれば退屈だったで仕方がないとして、何かすごいものを観たとか変なものを観たとか、そういう印象で構わないから、何かが残ってくれればいいと思う。
 さすがにおそらく体育会系の男子高校生五人組にはまったく縁がない映画だったろうなーっと思うし、あの子たちにはご愁傷様、「ほんとウチの押井がゴメン……」と頭を下げるほかないけれど、クラスの片隅で目立たない、読書が好きな中高生には届くはずだし、六月に教育実習に行ったとき、『スカイ・クロラ』を読んでる子がいたなあ……。彼は映画を観ただろうと思うけれど、彼がどう感じたのか、感想を聞きたいな、と思う。