長回しと「終わりなき日常」―廣木隆一『やわらかい生活』





 映画『やわらかい生活』(2006年、監督廣木隆一、原作絲山秋子『イッツ・オンリー・トーク」(「文學界」2003年6月号)、出演寺島しのぶ豊川悦司)が、とても痛かった。


◆30代のモラトリアム
 寺島しのぶが演じるヒロイン橘優子は、35歳のメンヘル女性で、病院に入退院を繰り返したり、無気力な生活を送っているのだけど(法事の日に親族の前で「こんな女でももらってもいいという奇特な男がいたら紹介してください」とかべらべら喋るシーンは痛すぎる)、唯一やっていることがblogの運営で、町を歩いて写真撮影し、blogにアップしているという。で、blogで写真に掲載された公園を探していたというやくざに会ったり、ネットの掲示板で知り合った男といかがわしいことをしたりするのだけど、30代半ばで青春なんてもう終わっており、もはやきらめとかない、という投げやりな感じが、どうにも居たたまれない。
 町で選挙演説をしていた男が大学時代の友人で、彼と部屋で飲んだとき、「じゃあ、しよっかー」という感じで既婚者の彼を誘うのだけど、めちゃくちゃ投げやりなので、男は引いてしまう。かといって、残念なわけではなくて、肉体関係を持つとか持たないとかもどうでもいいし、どっちでもいいという。寺島しのぶはもう日常生活の中に、何もときめくものがないのだ。


 この感覚はぼくもよくわかるし、こうなったら終わりだと思っているのだけど、しかしまあ、なんともリアルに感じらられることは確かだ。映画『8月のクリスマス』(2005年)も、山崎まさよしが写真店で淡々と過ごしている30代男性を演じており、仲良くなった24才の女性教師の存在を、色褪せた日常生活を色鮮やかにしてくれるものとして感じるという映画なのだけど、山崎まさよしの色褪せた日常に耐えるというストイックさよりも、寺島しのぶのだらしなさの方がリアルなのは間違いない。
 山崎まさよしは、雨の日に相合い傘をした女の子の腰に手を回してドキドキするという中高生的な感覚を保持しているけれど、寺島しのぶの方は、ネットで知り合った男と電車や車の中で痴漢プレイをすることでかろうじてドキドキするという退屈ぶりなのだ。


 ただ、映画の後半は多少救いがある。映画の後半で、寺島しのぶはいとこの豊川悦司と同郷生活を送り、豊川はかなり変わっているのだけど、寺島とはけっこう気が合い、退屈な日常はそれなりに彩りを取り戻していく。競馬場で馬券を当てたり、カラオケで下手くそな歌でデュエットしたり、10代の青春を基準にすれば冴えないことこの上ないのだが、30代の現実なんてこんなもんでしょう。
 で、豊川は最後に去り、寺島は「寂しい」と泣くのだけど、「寂しい」と泣くということは、寺島の中にもまだときめきを感じる気持ちが残っていたということなのだから、これは救いなのではないかとぼくは思う。


長回しが捉える退屈な日常のリアリティー
 さて、実はこのエントリの本題はここからなのだけど、最近の映画を見ていると、映像がきわめてクリアであり、音も町の雑踏や雑音といった日常的なノイズが再現されており、現実の世界の空気感がそのまま映し出されているように感じる作品によく出会う。
 映画監督には、画面全体を赤や青、黄色といった色調で染め上げる人が多いのだけど(例えば、北野武は画面を青くするので「北野ブルー」と呼ばれている。昭和30年代を再現する映画は、黄色い色調に染め上げていることが多いように思う)、そうした処理が行われておらず、現実の世界の再現を目指しており、そのために、観客がそのまま映画の画面の中に入っていけそうな錯覚を感じる。


 具体的には、廣木隆一やわらかい生活』(2006年)と、退屈な日常を送る女子高生たちがバンドを組む学園ものである山下敦弘リンダ リンダ リンダ』(2005年)についてそんな風に感じたのだけど、この二作は、長回しが多いというもう一つの技法的な側面と、倦怠感に満ちた日常生活を描くという主題的な側面においても共通している。
 長回しで延々と倦怠感に満ちた日常の生活を映し出していくので、当然どちらもストーリーがテンポよく進んでいくという映画にはならなくて、現代に生きる若者たちの倦怠感に満ちた「終わりなき日常」の生活の現実を、できるだけそのまま再現しようというリアリティー志向の映画となっているわけだ。映画を見ていると、ヒロインたちの倦怠感に満ちた日常生活の空気が、次第次第に体の中に染み込んでいくような感覚を感じる。


 逆にカット割りが多い映画は、会話もストーリーもテンポよく進んでいき、ストーリーを追うことで、観客を楽しませる作品が多いという傾向があると思う。
 長回しが多い監督とカット割りが多い監督の日本における代表格は、前者が溝口健二で、後者が小津安二郎なのだけど、長回しの場合は俳優が演技を引き出すことが重視され、監督は俳優に演技を任せることが多いのに対して、小津は自分の指導通りに俳優に演技をつけ、完全に技術的に指導なので、俳優が役に思い入れをするといった感じではなかったという。『やわらかい生活』は、やはり寺島しのぶの演技がすばらしいと感じるわけで、それは長回しで日常生活のありようを描くという映画の性格にもよるであろう。


◆「終わりなき日常」が終わらない
 しかし、それにしても「終わりなき日常」である。『リンダ リンダ リンダ』のように、学校生活が永遠に終わらない、「終わりなき日常」として感じられるという感覚はたしかにぼくも感じていたけれども、まさか、『やわらかい生活』みたいに、30代まで「終わりなき日常」が持ち越されるとは。
 10代の頃は夢にも思わなかったよ。