映画だから成立する―岩井俊二=シネフィル論:『Love Letter』『四月物語』



 岩井俊二制作のミュージックビデオ集というエントリを上げておいて、岩井俊二論がblog内にまったくないのも変なので、作品に触れつつ、現時点での見解を少しだけ。


Love Letter [DVD]

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 『Love Letter』(1995年、監督・脚本岩井俊二、出演中山美穂豊川悦司)。


 岩井俊二の映画デビュー作。死んだ恋人を想い続ける女性を中山美穂が演じており、中盤では高校時代のエピソードが挿入される。で、後半では主人公が死んだ恋人の思い出の地に向かう……という構造は、実は、『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年)が完全に踏襲しているのだけど、『セカチュウ』の監督行定勲は、『Love Letter』で助監督だったそう。行定は、「ポスト岩井」と言われた時期があったらしいのだけど、そういう意味でも現代の日本映画の先駆けとなった一本。


 岩井俊二は、若者に支持される一方で従来の映画ファンにはバッシングで迎えられたのだけど、これは岩井がTVやPVの出身であることも原因としてあった。けれど、岩井自身は映画ファンで、「どうすれば映画になるか?」ということを常に念頭に置いて映画作りをしてきた人だと思うし、実際、彼の映画を見ていると、「これは映画だから成立してるんだよなあ……」と思わせられることが多い。
 『Love Letter』では、有名になった「お元気ですかーっ!?」の場面や、ヒロインのじいちゃんがヒロインを背負って吹雪の中を病院まで行く場面がそうなのだけど、これらのシーンって、ストーリーを進めていくためのエピソードとして語るのに必要な時間や表現の質を、大きくオーバーしており、明らかに過剰なのだ。ストーリーを語るだけならもっと簡略化して伝えられるし、こんなに時間をかけたり、濃やかに表現したりする必要はないし、ヒロインのじいちゃんのエピソードについては、もっと時間や力を割くべきシーンが他にあるように思える。


 けれど、岩井はその場面に時間と力を注ぎ、そしてそのためにこの映画は、ちゃんと映画になっているように思える。
 逆に言えば、もしTVだったらこの場面にこれほど時間をかけることは許されないわけで、もしTVで作るのであれば、これらのシーンはなかっただろう。
 けれど、これらのシーンがあったからこそ、映画作りが始められたようにも思える。なぜって、これらのシーンがなければ、この映画は映画として成り立たないのだから。
 岩井俊二は、おそらくそういうことを考えながら映画作りをする人で、そういうことって、映画ファンでなければできないものだと思うのだ。


四月物語 [DVD]

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 『四月物語』(1998年、監督・脚本・音楽岩井俊二、出演松たか子田辺誠一


 ここで映画ファンと言っているのは、実はシネフィルのことだ。
 『四月物語』は、松たか子が四月に東京に出てきたばかりの女子大生を演じているのだけど、ストーリーはあってないようなもので、松たか子は、小さな書店に通っているのだけど、それは高校時代の憧れの先輩(田辺誠一)がバイト勤めをしているからであった……という、ただそれだけの話だったりする。


 けれど、やはり見ていると妙におもしろいというのがあって、例えば、映画の中で、松たか子が映画を見ているという場面がある。これは時代劇なのだけど、しかも白黒の古い時代劇で、あれは黒澤なのだろうか。この場面も妙に長くて、しかも松はひとりで映画を見に行っているのだ。普通は、映画の中で映画を見に行く場面があると、それはカップルがデートで行くものなのだと思うのだけど、つまり、この場面もストーリー的にはあまり意味がない。
 だけど、見ているとなんかいいんだよねえ……というのが、つまり、これが映画だということ。これをTVドラマでやったら絶対にクレームが来るし、怒られるわけで、映画だから成立しているわけです。
 そして、映画の中の人物が映画を見ているということをやりたがるのは、ヌーヴェルヴァーグの映画監督たちなど、シネフィルと相場が決まっている。こういう場面を見るにつけ、岩井もシネフィルなんじゃないか、シネフィル的な映画監督なのではないか、と思うんですよね。


 この映画はラストもすごくて、あまりのことにすっかり呆れてしまったので、ここで紹介したいと思うので、未見の方で知りたくないという方は注意してほしいと思うのだけど、松が、書店で初めて憧れの先輩とお話ができてテンションが上がったところで、帰り際に雨が降ってくる。
 「傘、持ってきなよ」という先輩に「大丈夫ですから」と答えて自転車で走り出すのだけど、ところが雨は予想外に強くて、ビルの入口で雨宿りをする。そこにおじさんが登場して、「中からもう一本傘もらってくるから、この傘使いなよ」と持ってる傘を差し出す。
 松は、「今、傘買ってきますから!」と傘を持って自転車に乗って本屋まで戻って、そして、先輩に「やっぱり傘貸してください!」と言うのだけど、先輩は「持ってるじゃん!」(←ここ楽しそう)。
 で、事情を話すと、「忘れ物の傘、使って」と言って、何本も傘を持ってくる。松が赤い傘を選んで開くと傘の骨が折れている。「こっちがいいんじゃない?」と、先輩が黒い傘を開くとやっぱり傘の骨が折れてるので、「これでいいです」と、赤い傘を持って、松は走り出す。
 で、ビルまで行っておじさんに傘を返す。「いやー、助かったよ。あれ一本しかなくてね」とおじさん。おじさんが去った後、松は、まだ雨が降る空を見上げて、雨を浴びる場面で幕。


 本当にこれで終わりなのだ。「おいおい、落ちてねーぞ、これ……」と思うのだけど、でも、映画としてはこれで成立してるんですよね。
 どういうことかというと、松が東京での生活の緊張が解けて、初めてテンションが上がった!という。映画の主題は、つまるところそれであって、緊張が解けて、松に屈託のない笑顔が戻ったので、もうこれ以上、この映画が語ることなんてないわけです。先輩と付き合うことになるかどうかとかどうでもいいんですね。


 映画を成立させるのに必要なのは、松たか子という女優の身体であって、ストーリーではない。で、こういう映画を見せられてみれば、実は映画って、どんな映画でもそうなんじゃないか、という気もしてくる。ようは、女優の身体が息づいていればいいのであって、ストーリーなんて副次的なものにすぎないんじゃないか、という。
 仮にそれが言いすぎだとしても、ストーリーがなくても成立する映画というものがありえる、ということは否応なく納得させられてしまうわけで、そういう映画を撮る岩井俊二というのはシネフィルなんじゃないかな、と。
 シネフィルの映画監督というのは、常に映画についての映画を撮ってしまうんですよね。そういう意味で、岩井俊二もまたシネフィルなのではないかと思うんですけど、どうなんでしょうね……。


花とアリス 特別版 [DVD]

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 『花とアリス』(2004年、監督・脚本・音楽岩井俊二、出演鈴木杏蒼井優郭智博広末涼子


 この映画も、それまでのストーリーとはぜんっぜん関係なくラストシーンで映し出される、蒼井優が制服姿でバレエを踊るシーンがあまりにすばらしいものだから、観客はそれで映画が終わることを、なんとなく納得させられてしまう、という映画で、岩井俊二は、本当にこんな映画ばかり作ってるんですよね。
 ストーリーは破綻しているのだけど、ストーリーの破綻も含めて、映画としては成立する、というような脚本を確信犯的に作っている。分析するには手強い作り手だな、と思います。