はてな匿名ダイアリーにコメント・その3



 生まれて、すみません。ほんとうにすみません。


 「非コミュ」(対人関係が苦手なタイプ)の大学四年生の男性が就職活動で悪戦苦闘し、自分は変わりたい、みんなと同じように他人とコミュニケーションが取れる人間になりたい、自分はマジョリティになりたい、と訴える内容。
 コミュニケーション能力が低いので、「僕は簡単なコミュニケーション、簡単な会話さえできないクズなのだ」と自嘲し、「僕は、変わりたい。/みんなと同じものをおもしろいと思えるようになりたい。/みんなと同じものをキライだと思えるようになりたい。/マジョリティになりたいのだ。」と訴える内容で、これはいまのぼくと同じような状況であり、コミュニケーション能力を高めたいと感じているのではないかと思った。
 なので、ブックマークコメントでは、「自分の問題を把握できてるから、あとは努力するだけ。相手の方が自分より上だって思えるなら学ぶ姿勢で話ができるし、「俺ずっと人間関係苦手で、いま練習中なんだけどすみません」って感じでいけば拒む人はいないよ」とコメントを付けた。
 ところが、ブックマークコメントでは、初対面で「きみさぁ、ぜったいプライド高いでしょ」などと失礼なことを言う面接官のオヤジなどより、よほど彼の方が人間として感受性が豊かで素敵な人だと思うし、「マジョリティー」に妥協する必要なんてない、「マイノリティー」のままでいい、多様な人がいていいはずだ、といった意見が非常に多く寄せられた。
 ブックマークコメントを受けて、同じ増田さん(はてな匿名ダイアリーの書き手は、みんなこう呼ばれる。理由は、「AnonymousDiary(匿名日記)」の真ん中をとると「増田」になるから)が、また、匿名ダイアリーをアップした。


 生まれて、すみません。とかゆった増田だけど、みんなありがとう!


 そこでは、「マイノリティーのままでいい」と言ってくれた人たちに感謝しつつ、自分も「マジョリティたるリア充・モテのみなさんの、うすっぺらいこと」、「マイノリティこそ内面が豊かで、多様性に満ちていて、おもしろくて、楽しいってわかってる」けれど、「現代日本の資本主義市場(=いわゆる企業社会)では、(略)コミュニケーションにコミットする人ほど、評価されるのが今の市場経済なの」だから、「変われるわけない自分を重々承知の上で、うだうだ言いながら悩んで」いるといったことが書かれていた。
 ぼくは、こういう考え方をしていてはダメだ、と思った。前回のエントリでは、自分は成績がいいだけで他人に共感できないダメな人間で、世間の人たち(={マジョリティ」)の方がずっと優れているという前提で話がされていたのに、このエントリでは、自分たち(=「マイノリティー」)の方がずっと「内面が豊かで、多様性に満ちていて、おもしろくて、楽しい」と、評価が逆転してしまっている。
 どうしてこういうことになるのだろう? 目の前の他人に興味が持てず、他人の気持ちに共感できない自分はダメな人間なのではなかったの? それはたしかに自分が他人より劣っている理由になりうるものだと思うのだけど……。


 それで、ぼくは、「「マジョリティー」は薄っぺらじゃなくて、人はそれぞれ色んな思いを抱えて生きているものだし、話してみると意外と面白いですよ。自分が受け入れられたいんだったら、まず増田さんから相手を受け入れましょうよ……」というブックマークコメントを付けた。
 自分が相手をバカにしているのに、相手が自分のことを受け入れるはずがない。相手をバカだと思って見下しているから、そう思っていることが相手にも伝わって、面接官に「きみさぁ、ぜったいプライド高いでしょ」と言われることになるのは当然だ。コミュニケーション能力が高い人なら、相手をバカにしていても、それを態度に出さないことができるかもしれないけれど、そんな能力はいまの彼にはないはずだ。
 であれば、最初のエントリのように、いままでの自分の生き方を謙虚に反省し、心の底から世間の人たちに学ぶ気持ちになった方が、社会復帰のためにはずっと近道のはずだと思う。


 だいたい、自分が相手をバカにしているのに、相手には自分を受け入れてもらおうだなんて虫が良すぎる。
 世間の人たち、彼の言葉でいえば「マジョリティ」というのは、誰でもさまざまな人生経験や社会経験を積んでいるわけで、学ぶべきことは多いはずだ。「マジョリティ」などと一括りにせずに、それぞれの人を一個人として見てみると、本当に人は個人個人で多種多様であり、それぞれその人なりの悩みや苦しみがあり、その人の人生を生きてきた歴史があり、この社会を生きていく知恵を持っていることに気づくはずだ。
 そういう共感能力がないんだよ……という話なのかもしれないけど、「マイノリティー」の多様性は認識できるのだから、本当はできないことではないはずだ。
 だから、自分から「このことについてはどう思うのか?」「どんなことを感じて生きているのか?」とどんどん他人に話を聞いていけば、おもしろい話が聞き出せるはずだし、そんな風に自分の話を興味を持って聞かれて不愉快な人はいないわけで、そういう風に他人の話を積極的に聞いてみることは、いまの彼には必要なのではないかと思う。


 もうひとつ、ブックメークコメントで「いまのままでいい」と言っている人には騙されてはいけない、と思う。たしかに、「マイノリティー」意識を持ったままでなんとか社会でやっていけている人はいるのだろうけど、それは職種や程度にもよる。職種がプログラマーや広い意味での芸術家だったり、「マイノリティー」と言いつつ、それなりに社会でやっていけるコミュニケーション能力なりメンタル面でのタフさだったりを持っている人たちだから、そういうことが言えるのだと思う。
 ぼくは、職種・技能的にもコミュニケーション能力的にも、「マイノリティー」の意識のままでは社会でやっていけず、ニートや派遣労働を経験した人間なので、「マイノリティー」意識は克服した方がいい、そちらの方が近道だし、精神的な部分でも救われて幸せになれるんだよ、と助言したいと思う。



 Rhythim Is RhythimStrings of Life」(1988)