さらば、グッドウィル



 今日は、派遣労働の体験について書きたいと思う。
 そう思ったきっかけは、グッドウィル日雇い派遣事業から撤退するというニュースを知ったことだ。
 「グッドウィル」廃業方針、日雇い派遣から完全撤退@YOMIURI ONLINE|読売新聞という記事によれば、



グッドウィル・グループは25日、子会社で日雇い派遣最大手の「グッドウィル」(東京都港区)を廃業する方針を固めた。
 近く手続きに入り、日雇い派遣事業から完全に撤退する。禁止されている二重派遣を手助けしたなどとして幹部らが逮捕された職業安定法違反事件で、同社は24日に東京簡裁から罰金の略式命令を受けた。有罪が確定すれば、厚生労働省労働者派遣事業の許可を取り消す方針で、同グループは事業の継続が難しいと判断。午後にも発表する見通しだ。



 ……ということなのだが、このニュースを知ったとき、とても複雑な気持ちになった。それは、ぼくもグッドウィルに登録して派遣労働をした経験があるからで、グッドウィルの労働条件がいかにひどいものであったか身をもってよく知っている一方で、内勤の方たちや一緒に働いた人たちには、とてもお世話になったという意識があるからだ。


 たしかに、グッドウィルの労働条件はひどいものだった。
 労働内容は、いつも過酷なものだった。最初は事務やパソコンの打ち込みなどの仕事をするつもりで登録したのだが、紹介があるのは肉体労働ばかり。
 年末年始には、決まって運輸会社での仕分けの仕事が入った。作業台に落とされていく荷物を、地域別のカゴに入れていくのだけど、来ないときは全然来ないのだけど、来るときは一気に来て、作業台が荷物で溢れる。中には、工場に送られる部品か何かなのだろう、ひどく重い荷物がいくつも落とされてくることがあり、次々と落とされてくる荷物を必死になってカゴの中に入れていく。1時間作業して30分休憩が入るというローテーションで進むのだけど、20分くらいでもうへとへとになる。あとの40分は早く時間がすぎることをただひたすら念じながら仕分けの作業をする。冷凍コーナーに回されると、さらに寒さとの戦いが加わる。冬だから防寒着を着ているのだが、冷凍コーナーは冷えた荷物を冷蔵庫に入れていくので、ひときわ寒さが身にこたえる。
 3月には、引っ越しの仕事が入った。3階の建物の引っ越しで、エレベーターが使えないなどという場合は、異常にたいへんだった。やたらと重い段ボール箱を何度も階段を上り下りしてトラックに積み込むわけだけど、タンスや冷蔵庫などもなんとか階段を持ち運びして下まで運んだ。重くて大きいものを階段で降ろすのはとてもたいへんで、腰を痛めそうになる。重い荷物を延々持ち運びしていると、握力がなくなって物を持てない状態になっている上に、あまりに体力を消費しているので気持ち悪くなって吐きそうになっているのだけど、とにかく最後まで仕事をした。ぼくは四人のチームの中でいちばんひ弱そうだったので、いちばん負担が軽そうな場所に配置されたのだけど、ぼくより先に気持ち悪くなった人がいて、途中でその人と場所を交代した。引っ越しが過酷な労働だったのは、ぼくにとってだけではない。
 最悪だったのは、冬の雪かきだ。JRの操車場の雪かきをしたときは、本当に最悪だった。ツルハシで線路を覆っている雪と氷を砕いて、線路を露出させていく。作業を済ませなければならない線路はかなり長く、いつまでやっても終わらないように思える。途中で雪が降ってきても、吹雪になっても、作業は中止にはならない。氷は堅く、なかなか砕けない。それを少しずつ砕いて線路を露出させていく。そして、雪は重い。線路から除けた雪を除雪していく作業も、どんどん体力を奪っていく。このときは初日の昼の段階で、もう体力が尽きていたので、次の日も同じ現場に行くように言われていたのだけど、絶対にできないと思ったので、昼に電話で断りの電話を入れた。翌々日の同じ仕事は行ったのだけど、やはり死にそうになった。ぼくが行った中では、JRの雪かきがいちばんひどい仕事だった。底冷えする寒さと体力を奪っていく重労働と。あれだけはもう二度とやりたくない。絶対にゴメンだ。
 こうした作業内容で、8時間、ときには残業があって、体力の限界まで働かされて、日給は6500円程度なのだ。昼食はもちろん自分持ちだし、途中の休憩時間に飲み物などを飲まないと体が保たないので、飲食費を除くと、実質一日5000円だろうか。給与を取りに行くときは、あれだけ辛い思いをしてこれだけなのか、という思いが常にあった。それは確かだ。


 おかしなことは、まだまだいろいろあった。
 今回問題になっている二重派遣は当たり前にあった。○○の腕章を付けて、○○から来た人間として、××デパートの搬入の仕事をする、といった仕事は、ぼくは何度も体験している。
 ユニホームを買うように言われたときは、なんか変だなと思いつつ、そういうものなのだろうかと思って、言われるままに購入した。冬にはトレーナーを買わされ、夏には半袖のシャツを買わされた。グッドウィルの隣にはグッドウィルグループのまた別組織の事務所があり、グッドウィルに登録すると、そちらからも仕事の紹介が来るようになって、そこでも同じようにトレーナーと半袖シャツを買わされた。だから、ぼくの手元には都合四つのユニホームがあるわけだけど、もう役に立たないよね、これ……。
 データ装備費の名目で、毎回給与から200円差し引かれていた件についてはあまり実感がないけれど、これはぼくの手元には未だに戻ってきていない。要求すれば戻ってくるらしいのだけども。
 これはそういうものなのかもしれないけど、拘束時間も長かった。9時から仕事開始であれば、集合は事務所に7時半で、事務所からバンに乗って現場まで行く。現場の場所によっては、午前5時の集合なんて場合もあったし、その場合は解散も午後8〜9時などということになる。朝5時から夜8時まで15時間も拘束されているのに、労働時間は8時間で、給与は6500円程度なわけだ。
 一度は断っていいという話で、断らなかったぼくもぼくなのだけど、朝の6時集合で翌日の朝6時まで、ほぼ24時間搬入の仕事をしていたこともあった。残業分からは、グッドウィルピンハネする分が差し引かれないので、時給がほぼ倍になる。なので、残業はぼくは大歓迎だったのだけれども。もちろんひどくきつくて、耐久レースのような24時間だった。引き受けるぼくらもぼくらだけど、こういうことをやらせるグッドウィルも、まあ普通ではないのだろう。


 なぜ、こういう仕事をしていたかというと、当時のぼくは完全なニートだったからだ。就職活動をしないままに大学院を修了して実家に戻り、高い年齢であるにもかかわらず職歴がないことが恥ずかしく、就職活動もアルバイトもできない心理状態にあり、どうしたらいいかまったくわからない状態だった。
 人前で喋ることに苦手意識があり、人とのコミュニケーションにさえ自信を失っていたから、塾講師や家庭教師もできない。アルバイトで長く人と時間を共有して働く自信もないし、実際当時のぼくはできなかったと思う。態度もおどおどしていたし、明らかにおかしい状態だったから。
 両親はどこでもいいから働けという。どこでもと言われても困るし、具体的にここで働けと言ってもらえればそこで働くんだけど……と、当時のぼくは思っていた。説教するなら職をくれ、説教するなら仕事くれ。そう思っていた。
 けれど、何もできない。自分では大学院にも未練があるから、毎日本だけは読んでいる。研究らしきこともしようとする(一人でやっていても、一歩も進まないのだけど)。それで一日は意外と早くすぎていく。自分では「何か」はやっているつもりなのだけど、しかし、我ながら結果的にはまったく何もやっていないのと同じことだとしか言いようがない。両親にはお前は毎日何をやってるんだ、仕事を見つけて働けと言われて、それは尤もだと思うのだけど、しかし、自分ではどうすればいいかわからない。
 そういうわけで、自分ががんばっているところを少しでもいいから両親に見せなければならないと思ったから、グッドウィルに登録した。
 そして、グッドウィルでの仕事はめちゃくちゃな労働条件だということに気づいていたのだけど、これは自分が受けなければならない罰なのだと言い聞かせて、重労働に耐えていた。
 そういうことだ。


 急いで付け加えるが、自分が恵まれた環境にあることは、もちろんわかっている。いま再チャレンジができているのは両親のおかげだし、実際にワーキングプアと呼ばれる人たちの生活に比べれば、ぼくの派遣労働の体験なんてお遊びみたいなものだ。
 グッドウィルでは、何人もの本当にたいへんそうな人たちに会った。
 たとえば、見た目は20代半ばなのに、実はいまは35才になっているという男性がいた。彼が言うに、関東の工場で働いていたのだけど、体を壊したので工場を辞めて実家に戻ってきたのだという。いまは新たな就職先を探しているのだが、なかなか就職先が見つからず、とりあえずグッドウィルの仕事しかしていないというのだが、最近体調が悪く、おそらく胃の病気で、本来であれば病院に行かなければならないのだが、保険に入っていないので、病院には行けないのだという……。
 この話を聞いたとき、彼はかなり危ない状態にあるのではないかと思った。体が悪くなったから仕事を辞めて、しかし病院に行くお金はなく、仕事を辞めたらますます生活は苦しくなるから、病院には行けない。しかし、体が悪いのでは仕事に就けないという悪循環。
 そういう話をする彼は、本当にぼくと同じようなタイプで、ルックスは冴えなくて、いっこうにモテなさそうなのだけれど、人は好さそうだし、ひょうひょうとしており、至って呑気そうで、その頃は『電車男』のドラマが流行っていたのだけど、現場まで行く車の中で、ぼくと『電車男』の話題で盛り上がったりしていたのだ。
 あれから3〜4年経つけれど、彼はいまごろ、どこでどうしているだろうか?


 ぼくよりずっと若い男性なのだけれど、とても人が好さそうな人がいた。
 あまり喋らないのだけど、いつもニコニコしていて、言われれば素直に行動するのだけど、まったく言われたことを覚えていなくて、それはびっくりした。
 ぼくと一緒に作業したとき、この具材をどこに置けばいいのかということを、一緒に指示を受けたはずなのにまったく覚えていなくて、ぼくがその場で「さっきはああ言われたでしょ?」と、改めて指示を出さなければならなかった。
 これではまともにバイトも勤まるはずがない。特に障害を抱えているという風ではなかったのだけど……彼もいま、どこで何をしているだろうか?


 ぼくには、彼らには明るい未来が開けているとは思えない。
 ……いや、もちろん、ぼくだってそう思われているに違いないし、いまも二年後の自分がどうなってるか想像できなくて不安だらけなのだけど。
 ぼくには、今度、また同じ失敗をしたら、今度はいずれ一生、過酷な肉体労働をしながら生きていかざるをえなくなり、そしておそらくそれに耐えられず、自殺を選ばざるをえなくなるだろうという強い危機感がある。


 それで、だから、ひどい派遣業者だったとは思うけれど、そういう人たちもいることを考えると、グッドウィル日雇い派遣から撤退することが、必ずしもいいことだとは思えない。
 ぼくにとってだって、将来のセーフティーネットグッドウィルセーフティーネットだなんて言う人はいないだろうが)の一つが消えたということなのかもしれないと思っているし……。
 メディアでは、小泉政権が派遣労働を合法化したことがワーキングプアを増加させたと言われているけれど、世の中にはさまざまな理由から定職に就けない人々もいるわけで、そういう人たちにとっては、グッドウィルの日雇い労働からの撤退は、下手をしたら死活問題になりかねないのではないか。


 冒頭にも書いたように、内勤の方たちにもお世話になった。
 内勤の方たちも実はバイトで、残業は時給700円で働いているとか、回転が速く、次々と変わっていくなんて話も聞いていたけれど、ぼくの見ている範囲では、毎日のように朝から晩まで働いている人が多かったし、車で現場まで送っていってくれたり、ときにはぼくらと一緒に現場で汗を流したり、とにかくいまこの職場でがんばっているという印象が強かった。
 ぼくが行っていた最後の方に、わりと美人の若い女性が内勤で入ってきていたのだけど、あるときグッドウィルと依頼先との待ち合わせの確認で手違いがあって、結果的に30分ほど作業の開始が遅れた。
 そのとき、依頼先の責任者の方はぼくら作業員には優しかったのだけど、謝罪のために同行した事務方の彼女には厳しく叱責した。それで彼女はぼくらが作業を始めた後も、依頼先の責任者に無視されながら、一時間ほどぼくらの作業を黙って立って見ていた。きっといたたまれない気持ちだろうな、と思いながら、声はかけられなかった。もちろん、これは声をかけてはいけないシチュエーションだ。
 彼女はいまどこで何をしているのだろう?


 そういうことを思う。
 思い出されることはまだいろいろあるし、思い出される人も数多くいる。
 グッドウィルが日雇い労働の派遣から撤退することで、彼らは幸せになれるのだろうか? 社会はいまよりもっと人が生きやすい、いい社会になるのだろうか?
 このニュースを知ったとき、複雑な気持ちになったというのは、そういうことだ。




 Red Hot Chili Peppers「Under The Bridge」(1992)