「黒澤明ルネッサンス前夜―田草川弘の『黒澤明VS.ハリウッド』をきっかけとして─」東北学院大学教養学部言語文化学科主催シンポジウム



 3月1日、東北学院大学泉キャンパスで開催された黒澤明のシンポジウムに行ってきました。(シンポジウムの情報はこちら。)
 聴衆は3〜40人前後だったこともあり、おそらくシンポジウムの内容をWeb上でアップされる方はいないような気がするので、門外漢ながら、簡単にシンポジウムの内容をまとめておきたいと思います。


『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて 黒澤明VS.ハリウッド

『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて 黒澤明VS.ハリウッド

 田草川弘氏講演会「クロサワの真珠湾物語―幻の大作映画『トラ・トラ・トラ!』誰も理解しなかったその巨大構想の謎―」


 blogの読者に理解しやすいように、田草川氏の講演の内容から紹介したいと思います。
 黒澤明フィルモグラフィーは前期(1943〜1965)と後期(1970〜1993)に分かれるが、1965年から1970年の五年間はまったく空白になっている。実はこの時期、黒澤はハリウッド(21世紀フォックス社)の依頼を受け、真珠湾攻撃を題材とした戦争映画の大作『トラトラトラ!』を準備していた。しかし製作は難航し、結局黒澤は監督から降ろされてしまい、映画は共同監督のリチャード・フライシャー監督の単独監督作として製作・公開された。
 この事件については、従来、黒澤の完全主義とハリウッドの商業主義の対立として語られてきたが、実際にはそういう問題ではなく、アメリカに残っている資料を見ていくと(日本にはほとんど資料は残っていない)、日米双方に誤解があり、ハリウッド側にも黒澤を降ろさざるをえない、尤もな事情があった。また、解任事件の際には、撮影当時の黒澤のエキセントリックな言動も取り沙汰されたが、現場を離れれば穏やかで優しい人物だった。ただ、てんかんという病気を抱えていたことは事実であり、会話の途中に一〜二分まったく反応がなくなるときがあった。
 では、『虎虎虎』において、黒澤は何を描こうとしたのか。黒澤はこの映画を、娯楽作品ではなく、戦争について人々が冷静に語り合うための、歴史的な事実に基づく人類の記憶装置として作ろうとしていた。黒澤の戦争観は、ギリシア悲劇からトルストイまで、広く深い読書の中で培われた文学的な想念に基づいた、スケールの大きなものだった。黒澤は、「天の目」から俯瞰的に人間世界を眺めるという視点で映画を構想しており、1941年9月1日の地球で起こっていることを図で描いたメモの中には、日本が真珠湾攻撃を仕掛けたとき、すでにドイツ軍の敗走が始まっていることを示したものもある。黒澤は、主人公・山本五十六を自分の苛烈な運命を知らない「道化」(=悲劇的な人物)として描こうとしていたが、これは「人間はなぜ幸せになれないのか?」という大きなテーマとも繋がっている。
 降板後第一作の『どですかでん』では、『虎虎虎』とはまったく対照的な作品世界が描かれており、『虎虎虎』のアンチテーゼとして作られた形跡がある。『虎虎虎』が「天の目」で英雄たちを描いているのに対して、『どですかでん』では「虫の目」で庶民たちの姿が描かれている。(他に対比として、美しい海原と不潔な焼け跡、エリート軍人と愚かな敗者、規律正しい集団と烏合の衆、名誉ある崇高な死と無惨な子どもの死、壮大な叙事詩と小さなメルヘンなど)
 黒澤の映画は人間への信頼を基礎に置いたヒューマニズムの映画であり、世界的にも評価が高いが、日本では黒澤のヒューマニズムは「甘さ」として批判の対象とされがちであり、黒澤評価の内外格差を埋めるべく、今後、評価し直されなければならない。


 辻野稔哉「『虎・虎・虎!』─ある映画史的悲劇」
 冒頭の発表だったのですが、ぼくは冒頭の30分ほど遅刻してしまったので聞いていません。資料やその後のシンポジウムから判断すると、黒澤と20世紀フォックス双方の映画史的な流れを紹介するものだったようです。阿部氏から、「映画製作史の流れはわかったけれど、映画史の話を聞かせてほしい。当時のハリウッド映画はある種の臨界点に達しており、だからこそ黒澤が呼ばれなければならなかった。そう言いたいのかと思って聞いていたのだが」という刺激的な挑発があったのだけど、必ずしもそうではないということでした。


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どですかでん<普及版> [DVD]

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 石塚秀樹「黒澤明の苦悩時代─架橋する山本周五郎
 『トラ・トラ・トラ!』の五年間を跨いで、前期最後の作品『赤ひげ』と後期最初の作品『どですかでん』は、ともに山本周五郎作品の映画化作である。山本周五郎は、「へそまがり」を自認し、「人間の人間らしさ、人間同士の共感といったものを、満足や喜びの中よりも、貧困や病苦、失意や絶望の中により強く私は感じることができる」という言葉を残している。黒澤は山本のそうした感性に共感していたのだろうが、ただし、『赤ひげ』と『どですかでん』ではだいぶ様相が異なっている。
 黒澤映画の魅力は、強さと弱さ、豪快さと穏やかさなど対立を明確にするところにあり、明確な対立構造が映画にふくらみをもたらしている。ところが、『赤ひげ』にはそれがあったのに、『どですかでん』にはそれはなく、中心の不在、エピソードの点景化、原作のユーモアの未消化といった特徴が顕著なものになっている。葛藤より諦観、激しさより穏やかさが支配的であり、ここから後期の新しい黒澤映画がはじまるのである。


酔いどれ天使<普及版> [DVD]

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白痴 [DVD]

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 山崎冬太「黒澤明と狂気」
 黒澤映画には、感情の激発や狂気といった表現が見られる。『酔いどれ天使』におけるヤクザの最期、「蜘蛛巣城」における武将の最期、「七人の侍」の菊千代、「生きものの記録」の老人といった例では、登場人物の感情が爆発することでドラマが急展開するが、それ以前に伏線が準備されているので、唐突さはなく、むしろヒューマンな印象があり、カタルシスを導く。こうした性格は男性に割り振られ、表現技法としては、クローズアップやカメラの移動が用いられる。
 それに対して、「蜘蛛巣城」の武将の奥方や「赤ひげ」の狂女といった女性キャラクターの例では、観客の共感を拒むような狂気の描かれ方がなされている。男女の描き分けが逆転している唯一の例が『白痴』である。また、黒澤と対照的な形で感情のほとばしりを描いた映画監督として小津安二郎がいるが、小津映画ではアップやカメラ移動を排して淡々と撮られており、黒澤とは対照的といえる。現代映画でも感情の激発はよく描かれるが、黒澤のように深く人間性に根ざした、力強い人間描写はないように思われる。
 山崎氏に対しては、阿部氏からは、「赤ひげ」の狂女の表現などについて、感情の劇発というよりむしろ計算された様式的な表現なのではないかという質問がありました。また、フロアからは、『トラ・トラ・トラ!』撮影時における黒澤の「常軌を逸した奇行」を作中の表現と結びつけることへの疑義がありました。(どちらも議論としては平行線を辿っていたのですが)


 
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わが青春に悔なし<普及版> [DVD]

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 阿部宏慈「黒澤的リアリズムをめぐって」
 『トラ・トラ・トラ!』には、ドキュメンタリー仕立ての作品という側面もあるが、ドキュメンタリー的なるものと黒澤的リアリティーとはどのような関係にあるのか。黒澤は、戦時中に制作された『一番美しく』において、工場でレンズを作る女子挺身隊の役を演じる女優たちを、実際に工場で働かせて自分が女優であることを忘れさせた上で撮影し、成功を収めたことがある。
 ロケーション撮影(スタジオ撮影ではなく)、盗み撮り、汚し(黒澤映画を見てると本当に臭ってきそうだ。『陰日向に咲く』の浮浪者なんてきれいすぎる!)、素人の俳優の起用など、黒澤のドキュメンタリー的映画観には、ネオ=レアリズモや、エイゼンシュテインのドキュメンタリー運動を思わせるものがあるが、だとすれば、『トラ・トラ・トラ!』におけるハリウッドと黒澤の対立とは、アメリカと日本の対立ではなく、アメリカとヨーロッパの対立だったのではないか。『わが青春に悔なし』の原節子が裸足になるシーンに見られるような、ドキュメンタリー映画的な手法で撮られた身体性のリアリティーこそが、戦前と戦後を貫く黒澤映画のリアリティーだったのではないか。
 映画のリアリティーには、様式的なものから生み出されるものとドキュメンタリー的なものがある。『椿三十郎』の血しぶきや効果音などは、ありえないのだが、たしかにリアルだと感じる。黒澤の中には彼が信じるリアリティーがたしかにあったが、様式的なリアリティーとネオ=リアリズモ的なリアリティーをなんとかつなげようとして、ふたつがぶつかったときに優れた表現が生まれていたように思われる。




椿三十郎 通常版 [DVD]

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 ↑は、森田芳光監督・織田裕二主演の映画『椿三十郎』(2002年)。阿部氏は、「黒澤『の・ようなもの』」なのか、「黒澤『模倣犯』」なのか、黒澤作の記憶とは違うところが「こうなるはずなのにならない!」という感じで引っかかって、最初は違和感なのだけど、だんだんそれが快楽になってくる、などという風に、誉めてるんだか貶してるんだかよくわからない感想を述べていましたw
 というわけで、一応、シンポジウムの内容を簡単に紹介しておいたのですが、メモに基づいて書いたものの、あくまで細部や論旨をかなり省いた要約であること、発表者の発言を正しく伝えられているとは限らないこと、文責は当blogの管理人にあることを明記しておきます。
 ぼくは黒澤映画は実はあまり見ていないのですが(『羅生門』『七人の侍』『隠し砦の三悪人』『椿三十郎』くらい)、シンポジウム中に紹介された『赤ひげ』や『どですかでん』の映像を見て、やはりこれは見なければならない映画監督なのだな、と思いました。シンポジウムは内容的にもとても面白かったのですが、ぼくにとってはなによりもそのことが最大の収穫でしたね。
 いや、最大の収穫は、パネラーとして参加された、かつての恩師に久しぶりに会えたことや、シンポジウム後に、シンポジウムを聴講しに来ていた後輩の方たちと食事をしながら話をしたことですね。皆さん、お世話になりました。ほんとに楽しかったです。では、また!