「裏づけ」のインフラ



 今週は、読書会で報告を担当しました。
 しかも二回もやりましたよ。ほんと、どさくさに紛れてって感じですが。


 ひとつは演劇と文学の関わりについて、ひとつは映画と小説の語りを比較した論文についての報告だったんですけど、楽しかったですよ。
 まあ、「死ぬ」とか「疲れた」とか言いつつこんなことやってるからますます苦しくなるわけですけど、目先に楽しいことがないと、つらいですからね。実際の読書会は、2〜3時間程度で終わっちゃうわけですけど、そのために本を探したり読んだり考えたり、発表の構想を練ったりしている時間が楽しいんですよね。そういう楽しみがないと、毎日を乗り越えていくのはつらいですよ。


 あ、もちろん、読書会は、めちゃくちゃ楽しいですよ。


 で、読書会の報告なんですけど、まあ、どちらも少人数の読書会だし、簡単なレジメを用意していく程度でいいんですけどね。引用を中心にA4で6枚ずつくらいの分量でしょうか。
 ひとつは昨日やったんですけど、朝起きてから大学に行って、四時間くらいでレジメを作りましたね。


 論文の要約の方はずっと前に作ってたんですけど、この一週間たいへんすぎて、まったく頭の中から抜けちゃってたので、レジメ作りは難しかったですね。好きなことをやってるのでつらいとかたいへんとかはないんですけど、ただもう時間がないのが残念っていう。時間があればもっといろいろ盛り込むのに、情報量を整理しつつ増やして密度をあげたレジメを作ったのにっていう、それはちょっと残念でしたね。まあでも、限られた時間内に形にするのも仕事のうちですからね。


 レジメ作りは楽しくて好きなんですよね。場に必要な情報を提供することを目的としつつ、情報を調べて、本を探して読んで、論点について考えて、的確にまとめていくっていう。この手の器用仕事は大好きなんですよね。ほんと、毎週やってもいいくらいですよ。
 あと、レジメ作りの最後の段階で、ハサミとノリを使って切り貼りしてるのも楽しいですよね。時間ぎりぎりになっていて、楽しさを感じてる余裕がないことも多いですけど。


 あと、喋るのは、高校で授業をしているうちにだんだんプレゼンのコツが掴めてきたところがあるので、もちろんまだまだなんですけど、「適当でいいんだ」精神で喋っているうちに、少しずつ話す内容の取捨選択が的確になってきた気がしています。
 特に優れている必要はなくて、場が成立すればいい程度に考えた方がうまく行くんですかね。


 そういえば、もうひとつ、今週は演習の司会をやったんですけど、とても評判がよかったですね。進め方や振り方や介入の仕方やまとめ方などよかったんじゃないですか、と誉められました。ふたつの発表のうち、ひとつ終わった後、次の発表に行く前に、ふたつの発表の繋がりについてさらっと触れてくれたので、頭に入りやすかった、とかですね。まあ、自家薬籠中のネタだというのもあったんですが、やっぱり誉められると嬉しいですね。



 やっぱり、高校でもまれているうちに自信がついてきたところはあるんですかね。
 働いてると自信を失うようなことってとても多くて、どちらかというと自信が打ち砕かれるような体験ばかりしてきたような気もするんですけど、それでも生徒たちと毎日接していることで、自信がついてきた部分はあるんだと思います。


 ひきこもり生活や大学院生活では得られないものって、やっぱりありますね。ひとりでいたっていろいろモノは考えられるし、理念的にはすでに「わかっていた」部分ってかなりあるんですけどね。まあ30をすぎれば、よほどのバカでもないかぎり、自分がダメなところ、本来どうあるべきなのか、まっとうな人間になるにはどうすればいいのか、そりゃまあいろいろわかってきます。だから、頭ではとっくにわかっている。


 でも、いかんせん体験がないと、「裏づけ」がないですからね。「こうすべき」とわかっていても、実際にはそうできない。人前で極度にあがって喋れないし、対人対社会的な距離を把握できなくて、やらなくていいことをやったり言わなくていいことを言ったりするし、初対面で人にいい印象を与えられないしっていう。


 でも、だんだん「裏づけ」ができてきたことで、ぼくはずいぶん変わったんじゃないかなあ、と思います。いや、自分では変わったっていう実感はないんですけど、おそらく他人の目から見たらぼくの印象はかなり変わったんじゃないかと思いますね。半年前にぼくに初めて会った人と、いまぼくに初めて会った人では、受ける印象はかなり違うんじゃないかと思うんですけど、どうなんでしょうね。そんなことないんですかね。


 現代思想で、人間の「主体」とか「内面」って、「制度」とか「環境」とか「インフラ」とかに規定されてるんだっていう議論があるわけですけど、この手の議論は机上の空論でも何でもなくて、実際にそうなんだと思いますよ。なんというか、「心」や「内面」が大事だって思ってる人間からすれば、ずいぶんくだらないと思うようなことで、しかし人間の「心」や「内面」って規定されているところがある(人間には「私」なんてなくて、「自意識」だけがあるのだといえば、小林秀雄になるわけですが)。それで、ぼくはいまそのことを実感しやすい状況にあると思います。過渡期ですからね。
 パートタイムとはいえ、教育にかかわっていることもありますし。


 まあいいや。まだやらなきゃいけないことあるんだ。
 結局寝不足。


 では、また。




 宇多田ヒカル「Movin'on Without You」(1999)