パン屋と魔女―長尾直樹『アルゼンチンババア』における「こねるもの」と「こねられるもの」



アルゼンチンババア ~みつこの夏~ [DVD]

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 映画『アルゼンチンババア』は、2007年に制作された、長尾直樹監督・脚本の映画。原作はよしもとばななアルゼンチンババア』(ロッキングオン社、2002年12月/幻冬舎文庫、2006年8月)。


◆「こねるもの」と「こねられるもの」
 この映画については、一つの場面繋ぎから話を始めたいと思う。前半、母親が死に父親が失踪して疲れ果てた一人娘涌井みつこを演じる堀北真希が、「指圧マッサージ回生院」で整体院で、うつ伏せになって、マッサージ師の田中直樹に腰をもまれているシーンがある。ところが、次の場面では、堀北がパン粉をこねているシーンになる。さっきまで腰をこねられていた堀北が、次のシーンでは、パン粉をこねているわけで、こねられる側がこねる側に早変わりするという風にシーンが繋がれているわけで、「おいおい……」と思う。


 堀北がパン粉をこねるのは、母の死の現実から逃避して町はずれの草原に小さな城のような住居を構え、町の人々にアルゼンチンババアと呼ばれている女性ユリ(鈴木京香)の家に居着いてしまった不甲斐ない父親(役所広司)に対する猛烈な怒りを、どこかにぶつけなければ気がすまないからだ。妻の死にショックを受けた父親の悟の憔悴ぶりもすごいのだけど、どうやらこの親子は喜怒哀楽の感情がストレートに体に出るタイプのようだ。


 とはいえ、悲しみや怒りの感情が、理性では納得しようとしているのに、心理的なレベルではなかなか納得できなくて、身体のレベルで辛い状態が続くという体験は誰しも経験があると思う。で、こういうときは、長い時間をかけて、崩れてしまった身体のリズムを回復させることによってしか、心の状態を落ち着かせていけないものだと思うのだけど、この映画も実は、母(父にとっては妻)の死という喪失の痛みを、身体のレベルから回復させていくことで癒していくことをテーマとしている。


 堀北が指圧マッサージで腰をこねられているのも身体的な回復ということなのだけれど、「こねる/こねられる」といえば、セックスもそうだ。こういうことを言うのは多少はばかられるところなのだけど、普通は男が「こねる」側であり、女性が「こねられる」側であろう。けれど、この映画における、堀北の父親の役所広司と、いわば「魔女」であるアルゼンチンババアユリの鈴木京香によるセックスは、女性の方が「こねる」側だったということになるだろう。妻の死に傷ついた父親は、ユリに「こねられる」ことによって生命力を回復させていくのである。


◆エロスと身体
 映画のストーリーは、妻の死の痛みに耐えられず、町はずれに住居を構えるアルゼンチンババアの家に引きこもってしまった父親を、娘の堀北や、父親の妹、そして喫茶店に集まる父の友人たちが、なんとかして父親を連れ戻そうとする、という形で進んでいく。
 父親とユリのセックスが描かれるのは、叔母といとこの奪還作戦が失敗した後、父親の様子を立ち聞きしたことで怒りがピークに達した堀北が、深夜ユリの家に忍び込んだ際に、家の屋上でふたりがダンスを踊り、その後抱き合う場面を目撃したシーンなのだけど、このとき堀北は惨めにも逃げ出し、あまりに慌てていたために、堀北はスクーターで転倒してしまう。結果次のシーンで、堀北は顎をギブスで固定し、ろくに動けないという状態になっているのだけど、この辺りもかなり意識的に、堀北とユリの間で、身体をめぐるありようの対照が作られている。
 この前の場面で、ユリの家に向かういとこの男子高校生は、、「もし俺がおまえの父親を連れ戻せたらやらせろよ」と堀北に言っている。このとき堀北は「はあっ!?」と反応するのだけど、結局いとこが失敗して戻ってきた後で、「さっきの約束ダメだよな」と言うと、堀北は「やらせるかっ!」と怒鳴る。セックスを否定した後で、ユリの家に向かうと、そこではユリと父親がセックスを始めるのを目撃するわけで、潔癖な堀北がユリのエロスに敗退するという展開になっているわけで、つまり、顎にギブスをはめた堀北の姿は、エロスを否定し、身体性を否定した帰結なのである。
 むろん、この映画においてエロスとは生命力の象徴であり、死に傷つき、死者の思い出を克服できずにいることで死に近い場所にいる涌井親子を、生の世界に連れ戻すものとしてあるわけで、映画のラストにおいてそのことは明確な形にされる。ユリは明らかに魔女として描かれているわけだけど、古来出産や薬草を扱っていた魔女とは、身体技法に通じ、生命を司る存在なのであり、この映画においても、ユリは涌井家の生命力を回復させる存在なのである。


◆職人の世界
 ところで、この映画に登場する人々は、手に職を持つ職人が多い。父親は墓石を作る職人であり、堀北は指圧マッサージ院でアルバイトを始める。そして、映画の中でパン粉をこねていた堀北は、最後にパン屋になるという将来の夢を語る。
 つまり、もともと彼らは手仕事によってモノに生命を与えることを生業とする人々であり、知的な仕事に従事し、心身のバランスのコントロールを失いやすいという多くの現代人よりは、心身のコントロールに長けた人々と言える。父親は一時的な失調から回復した後で職人に戻るわけだけれど、彼が職人でなければ、これはきつかったのではないだろうか。したがって、ぼくなどは、この映画を見た後では、職人でない人々が生命力が衰退した状態から回復するにはどうすればいいのか、ということをテーマにした映画が見たくなる。


 とはいえ、むろんこの映画はよくできていると思う。堀北がパン屋になるという夢を語るラストは、魔女ものである映画『魔女の宅急便』で、魔女の少女キキが都会の町で下宿した家がパン屋であったことを思い出させる。堀北にはユリの後を継いで、この町の魔女になる決意があるのだけど、パン屋は現代社会における魔女な職業のひとつなわけだ。
 ついでにもう一つ書いておくと、この映画のラストを見ていると、この後、堀北は父親を求めて鉄板を片手に旅に立つのであった……という、『鉄板少女アカネ』ネタを思いつく。


鉄板少女アカネ!! DVD-BOX

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 いや、ぼくは、『鉄板少女アカネ』を、こよなく愛しているんですよね。
 誰に何と言われようが、好きなものは好きなんですっ!