間違いだらけの告白タイム―森田芳光『間宮兄弟』
- 出版社/メーカー: 角川映画
- 発売日: 2006/10/20
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『間宮兄弟』は、2006年に公開された森田芳光監督の作品で、原作は江國香織。
◆もてない理由
間宮兄弟という冴えない兄弟の役を、工場の営業マンをしている兄役を佐々木蔵之介、学校の用務員をしている弟役をドランクドラゴン塚地が演じているのだけど、見ていると、同僚の女性教師(常盤貴子)やレンタルビデオショップの店員の女の子(沢尻エリカ)をウチのパーティーに呼んだり、他人の悩み相談に乗ったりして、それなりに女の子たちの信頼を勝ち得ていくので、蔵之介や塚地の冴えない風貌にもかかわらず、「別にもてねーってこともねーんじゃねー?」という気が見ている側にはしていく。
ところが、映画では彼らがやっぱりもてない理由が最後に明らかになる。というのは、一回目のカレーを食べるパーティーがあり、二回目の浴衣でのパーティーがあり……という感じで、まあ、けっこういい感じで間宮兄弟が女性たちとの関係を築いていったところで告白タイムとなるのだけど、どんな女性を好きになるか? というのがふたりとも全然間違ってるのだ。
そりゃ、誰を好きになるかは自由だけど、もうちょっとうまく行きそうな相手というのがいるでしょう? というところを、ふたりとも完全に外している。蔵之介は完全にそうで、好きになる相手を間違えたためにタイミングを逃してしまって、女の子をゲットできなくなるという描き方がされている。塚地の方は、外しっぷりはもっとひどくて、その女性を好きになるか?という相手を好きな異性として選んでしまうのだけど、当然うまくいかない。
空気が読めていない、というか、恋愛の空気が読めていないのだ。これはもてない。
そういう風ではあるのだけど、けれど、友人として付き合う分には楽しいし、信頼できる人たちなんだよね、というのがわかるので、ちょっと気まずくなった沢尻エリカも、間宮兄弟のパーティーに呼ばれると、妹の北川景子とふたりで出掛けていく。
喪男の落としどころとして、「もてなくても、女子に人として信頼されるんだったらそれなりに楽しい毎日が送れるんじゃねえ? ……もてないけど」というあたりが見出されていくわけだけど、これは個人的にも納得のいく結論だったりする。そうそう、それでいいじゃん、何が不満よ?みたいな。
間宮兄弟は生き方が下手なんだけど、そういう生き方が下手な人間の悲しみとか侘びしさとか、苦みとかおかしさとか、喜びとか愛しさとか。そういう人生の哀感が滲み出ていて、いい映画だと思う。
◆だめんず好きな女たち
……と、ここまでが第一段階の感想なのだけど、しかしよく考えてみると、実は、恋愛の空気が読めてないのは間宮兄弟だけではない。
まず沢尻エリカと北川景子が演じる本間姉妹もあまりいい男を選んでいるとは言えなくて、沢尻は野球部員の彼氏に放っておかれているし、北川の彼氏は飄々とした芸術家肌の変な男だけれど、彼も最後で外国に旅立ってしまう。
女性教師も、蔵之介の同僚の女性も、まあ、ろくな男を選んでいないくて、こんな男を選ぶくらいなら間宮兄弟の方がましだろと言いたくなる。
まあ、どの男もろくでもない中で間宮兄弟だけが彼女をゲットできないところが、間宮兄弟の空気の読めなさということになるのだけど、女性たちもまあとても幸せになれそうにない見る目のなさで、思いきりだめんず・うぉーかーぶりを発揮している。
なので、最後の場面で、間宮兄弟と本間姉妹がくっつくことが示唆されていると見れれば、それがいちばんハッピーなのだけど(そう見れば、塚地×北川のフラグも立ってるし)、残念ながら映画はそこまで描かないし、描かないところがミソなのだろうとも思う。
◆維持される幼年期
もう一つ、可能性としてあるのは、彼らはわざと空気を読んでないのではないか?ということだ。
つまり、毒男(独身男性のこと)であることは楽しいし、喪男(もてない男性のこと)であることも楽しい。だから、わざと好きになる女性を間違えて、もてない独身男性であることを選び続けているのではないか、という。
間宮兄弟の母親役を中島みゆきが演じているのだけど、これが美人でかっこよくて粋な母親で、母親をもてなして一緒に遊んでいる兄弟はとても楽しそうで、どうもマザコンの気があるし、母親も「いい女性はいないの?」と心配しつつ、海岸で戯れる三十男のふたりを見て、「かわいい子どもたち」なんて言っていて、子離れできていない。
そんなこんなで、無意識的にであれ、間宮兄弟は、わざと間違った選択をしているのではないかなあ、と思うのだけど、だとすれば、もし本間姉妹が間宮兄弟とくっつくのであれば、それは間宮兄弟がついに幼年期を終えて、成熟するということになる。
けれど、繰り返すけれども、映画ではそこまで描かれておらず、全体として映画は「成熟できない男たちを描く」という主旨の作品になっている。
このことは、映像的には、塚地が川べりの土手を自転車でずっと走っていくシーンの反復に代表される「水平の移動」のイメージによって象徴されている(人生に山も谷もないという意味で)と思うのだけど、映像分析をするにはもう一度見る必要があるので、これ以上詳しくは触れないことにする。
とりあえず、こんなところだろうと思うが、それにしても、この映画で見る沢尻エリカはかわいい。
映画の中の沢尻とワイドショーで見る沢尻は、まるきり別人に見えるわけだけど、ぼくとしては、映画で沢尻を見るときは、現実の沢尻のことは忘れるようにしている。いや、現実の沢尻もいい子だと思うんですけどね。