寂しい夜のすごし方



 また、風邪を引きました。
 この間の研究会の懇親会の帰り道、折から仙台は大雪、しかもそれが濡れ雪で、コンビニで傘を買いはしたんですけど、ひどく濡れてしまったんですよね。あれは寒かった。体が冷えました。
 で、以来、体調がすぐれません。blogはテキトーなコトばかり書いてますけど、お察しの通り体調が悪いこともあってやる気が出ず、結局「気が付いたら動画ばかり見ている〜♪」(byエアーマンが倒せない)な状態なんですよねw まだやらなきゃいけないコトが残ってるんですが。
 「やりたいコト」と、「やらなきゃいけないコト」と、「『やりたいコト』や『やらなきゃいけないコト』がやる気が出なくてやれないときにやるコト」の三つのうち、三つ目に費やしてる時間がけっこう多くなってるのは、ちょっと考えものですよね。
 まあ、でも、文化っていうのは、結局のところ、「『寂しい夜をいかにすごすか』という孤独な時間の暇のつぶし方」なんじゃないかな、という気もするんですよ。近代から現代にかけて、余暇の時間が増えて、そういう時間を家族や仲間や恋人とではなく、一人ですごすタイプの人間が増えていったわけで、それはいいとか悪いとかではなく、たんに現実で。
 誰かと毎日一日中顔を付き合わせていれば、お互いにひどく傷つけ合うことになるわけだけど、昔はではどうだったかというと、お互いを配慮する気遣いに満ちた人間が多かったというわけでは全然ないと同時に、そういうコトに耐える精神的なタフさがあったわけですらなく、たんに「そういうものだ」という感じだったんじゃないかなと、親を見てると思いますよね。
 でも、今の三十代から下はそういうコトには耐えられなくなってるわけで。お互いに配慮するタイプ同士の結婚がノーストレスという意味では理想的なんだろうけど、でもたぶんそういうタイプのカップルって、どちらかが相手を頼った瞬間にダメになるような気もするし。むずかしいですね。
 文化の話に戻りますが、「エアーマンが倒せない」関連動画の「つらい現実を倒せない」とか「引きこもりが治らない」とか「遊ぶ時間が削れない」とか見てると、なんだか動画ばかり見ていて一日が終わってるような感じの人も多いみたいなんですけど、たしかにそんな時間があったら、もっと有意義な時間の使い方があったろう、本の一冊も読めよ、と後悔するのはわかるんですけど、でも、孤独な人間の余暇の時間(暇な時間)の使い方っていう点では、本もテレビもゲームもWebも動画もあまり変わらないんじゃないかな、と思いますよ。動画だけが不毛なわけじゃなくて、不毛なコトを否定したら世の中のたいていのものは不毛なんだし。


 遊ぶ時間が削れない

 気が付いたら既に時間は四時過ぎ そして今日も睡眠不足〜♪


 閑話休題
 いやしかし、体調が悪いと、気弱になりますね。……こう、一気に後悔が襲ってきたりw 終わったコトをあんまりごちゃごちゃ考えても仕方がないし、いまやるべきことをやるしかなくて、そのことはよくわかってるんですけどね。
 独り言、ご静聴ありがとうございました(_ _)