非常に残念なことに



 人目に触れる仕事なので、少しはオシャレに気を遣いましょう、ということで、先月はスーツ・靴・Yシャツ・ネクタイから私服まで、ずいぶんいろいろ買い物をした。まあ、ユニクロっ子って点については別に変わりゃしないのだけど、総とっかえくらいの勢いで、かなり服を買っている。
 逆に言えば、いままでどんだけ服を買ってなかったかっていう話なのだけど、中でもいちばん大きいのは眼鏡を変えたことで、眼鏡をオシャレなものに換えたことによって、顔の印象がかなり変わった。で、生徒に「先生、イケメンになった!」と言われたりしているのだけど、眼鏡を変えたくらいで非モテからイケメンになるのだから、オシャレって大切だ。実際、街ですれ違う女性たちのぼくを見る視線がちょっと変わった。モテの視線とまでは言わないけれど、通りすがりの女の子にすれ違いざま「キモい」とか言われなくなった。こんなんで視線が変わるんだったら、三十数年言われ続けてきたことによって培われてきた、おれの非モテアイデンティティーはどうなるんだ。おれの青春を返せ、と言いたい気分だ。


 まあ別にそれは構わないのだけど、非常に残念なことに見た目の印象が変わったからってモテはじめているってわけでもないあたりがぼくの悲しいところで、「いい人」とは言われるのだけど、どうもオイラには異性として女性を惹きつける魅力がないらしい。最近、いろんな人に「ぼくはモテる男だと思うか?」と聞いたのだけど、ある女性の「モテるとかモテないとか関係ないよ。あなたはすばらしい人だよ!」という励ましの言葉はかなり堪えた。世の中って厳しい。もちろんモテるとかモテないとか関係なくすばらしかろうがなかろうが、ぼく自身は断固としてそこにはこだわる。男として。
 実際、ぼくは自分で言うのもなんなのだけど、某スピリチュアル番組で言われているモテる男の条件、「『情熱的であること』と『理性的で冷静さを持っていること』の両方をもっていること」を満たしていると思うし、その上優しい(特に女性には)のだからして、モテたって全然おかしくないはずなのに、なぜかモテないんだよね。もちろんお金がないとか、オシャレに気を遣ってないとかもあるだろうけれどそれにしても。


 で、いま期待しているのは、「いい人」だからモテない、という説に自分が当て嵌まっているのではないか、ということだ。それで、これはいま実感として感じていることなのだけど、仕事をしていて忙しくなると、他人に対する優しさや思いやりって少しずつ自分の中から失われていく。そこまで精神的な余裕がもてなくなるのだ。多忙で常にいっぱいいっぱいで、いつもイライラして人に当たっている。とりわけ弱者に対して冷たくて、思いやりに欠けている。そんな風な社会人は多いように思うし軽蔑していたのだけれども、そうなっていくのはわかるな、そうなるのはとても嫌なのだけれども、自分もある程度ある部分はそうなっていくんだろうな、というかすでになっているな、ということを実感として感じている。すげえ嫌だし、そうならないように努力するつもりでいるけれども、おそらく否応なくそうなっていく部分は確実にある。
 それで、もしそうなったら、逆におれってモテるのかもしれない、という話なのだけど、つまり、いままでが「いい人」だったからモテなかったのだとしたら、嫌なヤツになった瞬間にモテはじめるんじゃないかという。クールでニヒルで、いつも斜に構えているのがかっこよく様になっていてモテるみたいな男っているじゃないですか。ああいう風になるんじゃないかなっていう……。


 まあ、そんなことはないと思うけれど。たぶん「いい人だからモテない」というのが嘘で、女性たちはそういうことを言いつつ、賢く「いい人」(で、かつイケメンでオシャレでお金がある男)を選んでいるのだろうと思うし、もしぼくが嫌なヤツになったら、怖がられて避けられるようになるだけだろう。思えば、20才前後のころってそんな感じだったような気がするし。
 というわけで、結局のところ、打開策は出ないですねえ……。


 いや、ぶっちゃけ、今モテようなんて気はさらさらないんですけどね。
 いまは仕事仕事。




 アジアン・カンフー・ジェネレーション「リライト」(2004)